■セブンアイ
 
強さと優しさ


 こんな偶然が起きる月もあるものだ。
 この一か月ばかり、格闘家、それも揃って「最強」のタイトルを欲しいままにしているトップアスリートたちを連続して取材するチャンスに恵まれた。無論、格闘の魅力とは戦いであり、技であり、勝利にあることを承知の上で、私は、戦っていない彼らの、不思議なほど似通っていた性質というものになぜか強烈に引かれた。強さと繊細さの大きなギャップとで言えばいいだろうか。

 日本選手権3連覇、世界選手権2連覇中、シドニー五輪金メダリスト(1OOキロ級)の柔道家を取材した日、彼が「あ、こんなところに」と、大木の下に歩み寄ったとき、何をしているのかわからなかった。
「え? 何ですか?」全く鈍くも、聞き返す私の手のひらに、井上康生(綜合警備保障)は泥を落としたどんぐりを、さっと乗せてくれた。懐かしい、子供のころは外で遊んでよく拾いましたね、ごんなところに木があったんですね、そう言いながら。ああ、井上には、相手を心底打ちのめし、とどめをさすようなことが本当は向いていないのではないだろうか、とふと思った。もちろん、敬意と共感を込めてである。誰もがその上で咲き誇る桜や新緑に目を奪われる道で、どんぐりの泥を 払って大きな手のひらに乗せるような繊細さを、格闘ではどう扱うのか、アテネに向けて、メダルだけではない、別の興味を抱いた。

 K-1において日本最強と評され、肉体的不利の大逆転に期待を背負う武蔵には、少年時代、野球の練習をサボっては、土手で草花や土筆(つくし)を抜いていたのだと聞いた。誰もが通り過ぎるような小さな物に優しい心を向ける「最強の男」2人の横顔は、魅力的である。
 このコラムでも書いた女子レスリングの浜口京子(ジャパンビバレッジ)は、世界から注目を浴びる金メダル最有力候補である。

 先日、彼女から小包が届いた。
「取材をありがとうございました。お仕事の合間に召し上がってください」
 几帳面な文字で書かれた便箋と、自宅のある浅草名物の「かりんとう」である。とてつもない強さと、限りない優しさの同居、その表現が格闘という手段なのだろうか。そんなことを考えながら、どこか優しい、彼女のような甘さのかりんとうを、頬張っている。

(東京中日スポーツ・2003.5.16より再録)

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