■セブンアイ
 
無限の思想


 先攻していた研究は、難解過ぎて忘れてしまったが、とにかく6か国語は理解できる、と話してくれたことは覚えている。
 料理が趣味で、走ることで自然と一体になれる気がすると話し、人の背中を見て走るのは苦手なの、何だか走った気がしないから、と笑っていた表情も覚ている。
「今のトラックのスピードを単純にマラソンに移行できれば、2時間15分を切ることが可能にはなるんです」
 2時間15分! もちろん机上の計算なら可能だが、とすぐに聞き返してしまった。
──女性がそんな記録を出すことが可能だと、本当に思いますか。
「ええ、思っています。私は限界、という言葉を好みません。忘ぜなら、それを口にした途端、すべては止まってしまう気がするから。何かする時に、あなたは限界を考えますか?」

 13日、2年前に取材をした際、人の背中を見て走るのは好きではないと話していたポーラ・ラドクリフ(英国)は、ちょっとだけ方針を変えたようだった。世界最高記録を樹立するためには、人の背中、つまり、ペースメーカーとなったケニア人男性2人の背中だけは見ることにして、とにかくゴールを目指したからである。2時間15分25秒の、とてつもない記録樹立のニュースを見ながら、2年前、まだ1レースもマラソンを走っていなかった彼女が口にしていたタイムが空論ではなく現実になったことに、驚きより畏れを抱いた。

 百メートルを20秒切ってスタートからゴんまで押し切らなけれぼ出る記録ではない。彼女が3回のマラソンすべてで2時間20分を切った最大の理由はもちろん、トレーニング、筋力や心肺機能、力強いフォームにある。しかし同様に、限界を恐れない、たとえ1秒たりとも「もうダメだ」などとは思わない思想の方に答えがあることも間違いない。

 科学者たちが予想した女性の記録の壁をすでに突破し、本当に男性の背中を捉えてしまった。翌日、彼女の記事を見つけた。
「前半のロスをを改善すれば13分台も可能です」
 みなさんは、何かに取り組むとき限界を考えますか、それとも……。

(東京中日スポーツ・2003.4.18より再録)

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