■セブンアイ
 
本塁打の美学


 松井秀喜(ヤンキース)のホームランを誰より待っているのは、じつはこの人なのではないか、と思う。2人は昨年まで、セ、パ両リーグと、日本を代表するホームランバッターであった。2000年には、松井は42本と、両リーグで同時に本塁打王に輝いた。今年は太平洋を挟んで対時することになり、松井の背番号「55」を__それは王 貞治の本塁打日本記録でもあるが__日本から見つめている男がいる。
「楽しみです。彼のバッティングをあらゆる意味で、本当に楽しみにしています」
 中村紀洋(大阪近鉄)にインタビューする機会を持てたとき、彼は松井のメジャー入りについそう言った。
 ホームランの話である。中村について興味深いのは、言うまでもなくホームランバッターとしての哲学である。フルスイングは彼をことさら強く、パワーヒッターとして印象づけるが、それは違う。ヘッドを水平に、スパッと切り落としてしまい、球界でもっとも長いとされる、真っ白なバットをよく見れば、美学の一端は理解されるだろう。それはまるで研ぎ澄まされた、繊細な刀のようである。取材の中で、今季は、「一皮」グリップを太くして挑むのだと話していた。一皮とは、彼が調整を注文する際の、どこにもない単位である。それがわずか0.2ミリであることを、職人から後に知らされた。
「自分は、ホームランしかいらないのです。ヒットはホームランの打ち損じ」
 中村は言う。
 かつてメジャー714本の本塁打を放ったベーブ・ルースは「100本のヒットよりも、1本のホームランを」と言ったという。あらゆる競技において、ホームランほど、観る者を陶酔させ、特別な時間を与えてくれるパフォーマンスはそうはないのではないか。
 パワーでは非力であることを悟っている松井は、現時点でホームランにどんな美学を投影するのか。安打の延長にそれが見えるのか、それとも狙わないのか。答えを知るのはもちろん早過ぎるが、太平洋を挟んだ2人の「アーチの掛け合い」を、美学のぶつかり合いを、じつは楽しみにしている。
 贅沢というものか。

(東京中日スポーツ・2003.4.4より再録)

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