■セブンアイ
 
スポーツと戦争


 先週、日本サッカー協会、川淵キャプテンが会見で「今国のアメリカ遠正は中止にする」と説明をしたとき、ああ、これがW杯予選やアテネ五輪についての最終決定ではなくて本当に良かった、と、心から安堵した。
 26日、開花を待ちきれず咲き出してしまいそうな桜の木の下を、私は柔道のシドニー五輪金メダリスト・井上康生(綜合警備保障、東海大大学院在籍)と並んで歩いていた。案内してもらった東海大・山下泰裕教授の応接室には現役時代の肖像画が飾ってある。おそらく競技人生最強の時、この無類の柔道家は80年モスクワ五輪に出場できなかった。大きな身体で涙をしゃくり上げながら、「出場させてください」と訴えた姿を見たのは、ついこの前のことのようだ。偉大な先輩が経験した過去について井上に聞いてみたくなった。戦争にスポーツが巻き込まれるとしたらどう思いますか、と。
 井上は大きな手のひらで口を覆った。

「僕らはスポーツというルールのある戦いに全力を尽くすことができる。戦争はそうではない。ですから毎日とても悲しい」

 この1週間、多くの選手が井上と同様に、戦争の悲惨さ、同時に何かに巻き込まれていく不気味さを感じ取っているはずだ。政治はスポーツのために、つまり人間の幸福の実現を助ける手段に過ぎないはずが、主客はしばしば転じてしまう。先見の明も、第六感も働かないが、「イラク戦争とスポーツ」に生じ始めた徹妙なアンバランスに、胸騒ぎがする。

「日本には気の毒だったけれど、僕らもW杯には行けなかった。誇りある敗者として握手ができるし、また試合をしたい」

 イラクと聞けば、97年W杯のアジア最終予選「ドーハの悲劇」が浮かぶに違いない。ロスタイムにヘディングを決めたイラクDF・オムラムが、98年末、日本のテレビ局の招待で来日し、笑顔でそう話していたことを思い出す。おそらく現役を退いた今、彼はどうしているのだろう。五輪やアジア大会で取材した選手たちは戦っているのか、それとも競技者として伺らかの優遇措置は受けているのだろうか。
 せめて、考えることだけでも。
 せめて、忘れないことだけでも。

(東京中日スポーツ・2003.3.28より再録)

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