■セブンアイ
 
ルーキー


 マニキュアをする手が震えているので、具合でも悪いの? と顔をのぞき込んだ。
「いいえ、ごめんなさい。初めてなんです、今日。だから緊張してしまって」
 ネイルサロンで担当してくれたのは、新人だった。デビュー戦となる私の爪を前に、緊張のあまり手先が震えている。
「大丈夫、震えていても、震えない私が自分で塗るよりずっとキレイだから」
 私はあまりに不器用なので本当のことを言ったまでだが、彼女は恐縮しながら、ちょっぴり涙ぐんでいた。その真剣な横顔を見つめ、不快になるどころか、なぜか爽快で、羨ましいとさえ感じた。
 震えるほど緊張して仕事をするなんて。
 姿はベテラン、心はルーキー、そんな風になれたら、と桜の季節になるといつも願う。

「オフのブラジル合宿往復の飛行機はエコノミーで、足なんかこんなにちっちゃくたたんじゃってね。移動バスも10時間乗りっぱなしで試合とか参った、参った。でもね、辛くないんだ。楽しいんだよ、これが」

 サッカーJ2の開幕前夜、今年から新潟に移籍した98年フランスW杯日本代表の副将・山口素弘を記者仲間と訪ねた。横浜Fが消滅し、昨年は移籍した名古屋を離れ、年間44試合、真夏を戦い、昇格をかけてしびれるような終盤をサバイバルするJ2を選んだ。若手との技術、キャリアの差、体力、新しい土地、いろいろ脳みもあるのではと想像した。しかし、ビジネスクラスや厚い待遇でサッカーに専念できるひとつの成功を手にしていた34歳の男は、それらを無くしてなお、不安定な変化の方を楽しんでいる。昇格をかけた一年はおそらく、W杯アジア予選以上の重いプレッシャーを伴うだろう。

「自分がどこまでやれるか、こんな気持ちをまた持てるなんておもしろいよね」

 自らを、こうしてルーキーにリセットできる心は、彼がサッカーで誇る技術以上の、特別な才能なのかもしれない。

 この原稿をパソコンで打ちながら、これまで「ベテラン」に塗ってもらったときより、美しく仕上がっている爪に気が付いた。震えるほど緊張しながら、彼女が指先に描いてくれたのは、どうやら色だけではなかったようだ。

(東京中日スポーツ・2003.3.21より再録)

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