■セブンアイ
 
気の毒な山


 今年5月29日、イギリス人のヒラリー卿と、シェルパのノルゲイ・テンジン氏が人類初のエベレスト登項を果たしてから、半世紀目を迎える。登山界にとって、人類の進歩にとって歴史的な年でもある。何の縁なのか、私はテンジン氏の息子、つまり親子2代で地上の最高点8850メートルに立った人の自伝を出版することになっており、3月に入って、本の取材は追い込みに入り、ほぼ 毎日、登山家に会い、話を聞いている。高度という困難と生死の境を求めてきた人々の話はどこか鮮烈で、時に、何故か平地にいる国分の息が苦しくなっていて苦笑するのだが。

 エベレストは、チベット語ならチョモランマで、ネパール語ならばサガルマータ。シェルパとは、「東からやって来た人」を意味するひとつの種族であり、シェルパでエベレストの頂上を極めた人々は「タイガー」と称され、栄誉メダルを胸にする。取材をするうちに、エベレストが50年で大きな転機を迎えていることを知った。
 著名な登山家で、十数年にわたってマッキンリーの気象観測を行っている大蔵善福氏は「地上の最高峰とは、何とも気の毒な存在であったのかもしれません」と表現する。

 ヒラリーとノルゲイが初登頂を果たすまでに30人以上が犠牲になったエベレストも、この50年で、およそ1,500人が登頂を果たし、うち日本人は、シェルパ族、米国人の次に多い80人以上の登頂者(のべでは90人強)を送り込んだ「登山大国」の一角を成す。大蔵氏をはじめ、多くの登山家が指摘したのは、エベレストは、地球上の高度の極点として、人間の夢をかなえるひとつの場所として、今やオーバーユース(使用過多)の状態に陥っている現実である。ゴミを含む環境問題、最近は生死を分ける高度においてさえ、治安が問題だという。1970年5月、松浦輝夫さんとともに日本人初豊項登頂者を果たした植村直己さんがもし生きていたら、現状をどう表現し、どう論評し、新たにどんな冒険を目指したのだろう。ふと、聞いてみたくなる。

 サガルマータとは、ネパール語で「宇宙のてっぺん」を指す。アポロ計画の前に、人類はすでに ひとつの「宇宙」を制していたことになる。

(東京中日スポーツ・2003.3.14より再録)

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