■セブンアイ
 
怒る優しさ


 先日、スポーツ新聞時代の上司に取材の忠告をもらうため連絡を取った。待ち合わせ場所に行くと、私のために紙袋に入れた重い資料本を抱え、かつての「デスク」が立っている。10年ぶりだろうか。デスクは、原稿のコーチである。新人の頃、コーチたちに怒られない日など1日もなかった。

 85年、マラソンの瀬古利彦氏を指導した中村 清監督が新潟の川釣りで急逝された日、駆け出しだった私は彼に言われた。
「マスジマ、中村さんの(魚を入れる)ビクには、何か入っていたんだろうか」
 エッ、どうなんでしょうか、と言うと馬鹿野郎と怒鳴られ、どうやって調べるんですかと言うとふざけるなとまた怒鳴られた。それを調べるのがお前の仕事だと。救急病院か、宿のご主人か、いずれにしても重鎮の死去にスポーツ界全体が衝撃を受ける最中、悲しみ、動揺する関係者に「あのお、釣果は?」と直接聞く以外にない。思い出すだけでも、不謹慎ながら笑いたくなるが、とにかく「お取り込み中のところ」と間抜けな質問をし、救急車から監督に付き添った宿のご主人から「ビクにはヤマメ3匹」と丁寧にも教えていただいた。

 原稿は日々こんな要求ばかりで、「差し替え」も何百回したかわからない。どうでもいいことを疎かにするな、金太郎飴みたいな原稿を書くな、無駄足を踏め、一人前になるな……散々口答えをした身としては悔しいが、どれも正しく、人が人を怒るエネルギーの強さは今、わかる。そして夜中に原稿を書きながらふと、「ヤマメ」を思うことがある。

「今忙しいだろう、おまえ。きつくないか」
 ヤマメが何匹だったか、通夜の前に電話で聞くことに比べれば、たいしたことはない。
「いいか、元気だからって調子に乗るなよ、若くないぞ」
 思いやりを表現するなら別の言い方もある。しかし私は、このぶっきらぼうな「怒る優しさ」にずっと感謝したかったのだと思いなから、「わかってます」と素っ気なく、結局何も言わずに地下鉄をおりた。白髪の後ろ姿を見送りながら、振り向かないでほしいと願った。おまえ、何を情けない顔をしているんだ、とまた怒られるから。

(東京中日スポーツ・2003.2.28より再録)

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