■セブンアイ
 
私の正月


 友人の年賀状にはこう書いてあった。
「今、ビッグプロジェクトを手掛けています。完成すれば新しい生活環境を提供することにもなり、とても充実しています」
 友人は建築などのプロデュースをしており、文面からもはつらつとした様子が伝わってくるようだ。完成すれば数万人規模で人が集まる超大型の再開発・六本木ヒルズの話である。
 テレビ朝日、ホテル、高級住宅、さらに有名なレストランや老舗が70店も入るらしい。前を通りかかり見上げると、起重機の乱立する中そびえ立つコンクリートの塊に、思わず息を飲む。そして、この巨大なビルの出現とともに、私が失う小さな、本当に小指の先ほどの日常に、胸がいっぱいになる。

「33年目です。本当に長い間ありがとうございました。いつもおいしいって食べてもらって、作りがいがありましたよ」
 もう70歳になろうとするご主人が真っ白な割烹着姿でそう頭を下げられた時、言葉がなかった。小指の先ほどのそれとは、黒豆である。我が家では、自宅で作ることのできない手の込んだおせちは、もう何十年もご主人の店にお願いし、中でも黒豆は特別なものだった。六本木ヒルズに隣接しており、建設に伴い全てを別の場所でスタートすることはもう無理、と昨年末、大晦日に渡すおせちを最後に33年目にして店を閉めた。

 食べる速度も量もあまりに多く、高級素材の、しかも手間隙がもっともかかる料理をそんな風に食べるなんて、とひんしゅくも買ったが、ご主人は「おいしく食べてもらうのが一番ですよ」と笑い、私が持参する特大容器に黒豆をなみなみとついでくれた。大粒でふくよかで、透明の蜜に色艶が輝き、凛としたあんな黒豆、食べた事はない。いつも「今年の出来は……」と、プロ自ら採点するのも楽しみだった。
 出張で食べられない正月には、母が大事に冷凍保存してくれたこともあるし、海外に持って行ったこともある。巨大なビル群を恨んでもいないし、いつかはこういう日が来る。しかし30年にもわたった私の「正月」は、小さな一粒でささやかな歴史を終える。
 最後の一粒を箸で口に運ぶ。ご主人の笑顔と30年が思い浮かび、涙がにじんだ。

(東京中日スポーツ・2003.1.10より再録)

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