■セブンアイ
 
ランナーの「狂気」


 マラソンの瀬古利彦氏(エスビー食品監督)が、ソウル五輪前年、足首の疲労骨折をした際、医師に聞いた話は忘れられない。
「本人も気が付いていないのか、それともわかっていたのか、信じられないことに、ほかにも疲労骨折の痕跡が何か所かある」
 五輪が厳しくなった状況よりも、骨折に気が付かずに、あるいはそれを無視して、月間千キロ以上を走り続けて来た「狂気」のほうがよほど衝撃的であった。

 高橋尚子(積水化学)が助骨を疲労骨折していたこと以上に衛撃的なのは、それでも30キロを走っているという話である。足ではなく助骨を骨折したことは、いかに自分を追い込み、心肺機能を酷使したかを物語る。

「胸が痛くなってきて、本当は苦しくて辛いの、このまま一人ずっと走り続けて、どこかで倒れてもいい、ゴールなんて来なければいいとさえ思っていました」
 シドニー五輪で金メダルを獲得したあと、勝負からゴールについてそう話していた。輝く笑顔は彼女の一面であり、もう一面にはランナーの孤独が潜んでいる。東京国際女子出場(17日)については未定だが、彼女が今抑えようとする相手は、薬で改善できる痛みではなく、痛みさえも無視して走ろうとする自らの狂気の方ではないか。

 今回の東京では、もう一人、シドニーの代表・市橋有里(15位)が五輪以来2年ぶりのマラソンに挑む。今夏、山口衛里も2年ぶりに走ったが、84年ロス五輪から始まった女子マラソンの日本代表で、五輪後、3人揃ってもう一度国際マラソンを走ることができたのは、実は初めての事になるはずだ。五輪後2度とマラソンを走れないまま、人知れず引退した選手が多いことは、42キロではなく、誰も目にできない水面下で積む、何万キロの存在を無言で示していた。

 レースまであと9日、今が一番苦しい時期だ。2人が一体どうやって狂気と孤独と並走しながらスタートラインに立つのか、誰も知ることができない。想像くらいはできないだろうか、とアラン・シリトーの『長距離走者の孤独』を本棚から抜き出してみる。

(東京中日スポーツ・2002.11.8より再録)

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