■セブンアイ
 
「運動会のヒーロー」


 秋の運動会の風景も、ずいぶんと様変わりしているとテレビで特集をしていた。
 運動能力を差別しないためにあえて徒競走の着順はつけない。男女一緒に走らせる。自己挑戦を学ぶためにゴールテープなし、自己記録申請性など根拠が不明だ。絵画を「これは何?」と、常に先生に聞かれていた私がどれほど胸を痛めていたかは誰も聞いてくれなかったのに、どうして、足が遅い子供はかわいそうで、足の速い子は堂々と自慢できないのだろう。誰にも得意、不得意がある。運動だけに配慮するのは、スポーツへの逆差別ではないかと、深いため息をつきたくなる。
 ああ、あの日だけは輝く「運動会のヒーロー」たちはどこに行ってしまったのだろう。

「走るのだけなんだ、それも短いの」
 私のヒーローは、本当に速かったが欲はなかった。運動は短距離だけと笑っていたように、日頃は重度の貧血を抱え、一緒にバスケットボールをやっていても、いつも体育館の隅っで倒れているようなひとだった。
 あまりにも速くて、途中で落としたコンタクトレンズを探しても1着だったなんて笑い話もあったが、彼女が運動会で別人のように輝き、風を切り、「学校中で一番」速くトラックを走る姿を、私たち友人は自分のことのように自慢し、見惚れていた。
 22歳の彼女が交通事故で亡くなった日、走る姿を目に焼き付けようと涙をこらえた。

「急に止まったから、どうしたのかと思って。そうしたら、ニコニコ笑っているの」
 友人夫妻が苦笑しながら、半分涙ぐんで教えてくれた話がある。彼らの小学生の長男は何年か前、圧勝寸前の徒競走ゴール付近で急に立ち止まってしまった。見ていた父母たちが驚く中、学年で一番足の速い彼は、同じ組にいたビリの仲よしを待って、一緒にゴールをしたという。とてもうれしそうに。

 人生まで駆け抜けた友人も、仲よしを待っていたお人好しの彼も、「1日だけのヒーロー」かもしれない。けれども運動会と聞いて、学校で、学年で、クラスで誰が一番速かったのか思い出せないとすれば、なぜか寂しい気持ちになる。

(東京中日スポーツ・2002.10.25より再録)

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