■セブンアイ
 
「雑巾がけ」


 最後の待ち合わせをしたのは、シドニー五輪女子マラソンの翌日、街のコーヒーショップの前だっただろうか。
 スクランブル交差点を歩いて来た山口衛里(29歳、天満屋)は、レースの過酷さをシンプルに表現するかのように、ひどく不恰好な歩き方で「すみません、筋肉痛で、もうボロボロ」と苦笑いしていた。大きなプレッシャーのかかったレースで、同じ年の2人、高橋尚子(積水化学)は金メダルを獲得し、山口は転倒し7位だった。

 シドニーで待ち合わせたとき、1か月1000キロを走り込むような彼女たちでさえ、ビッグレースを終えた途端、あれほど無防備でか弱い姿になることを目の当たりにした。そうして、山口は走れなくなった。恥骨炎、坐骨神経痛、ひざの関節、練習するぶんだけ痛む箇所は増えていく。何より痛んでいたのは、自分と戦う「心」だったと思う。

「どんな形でもいいから、もう一度スタートラインに立ちたいんです」
 昨秋、天満屋の本拠地・岡山でのリハビリを取材に行った際、そう聞いた。「かなづち」が懸命に習った水泳の華麗さには笑ってしまったし、関節、筋肉に負担をかけないよう、「雑巾がけ」と名付けた練習をしていた。広い体育館で、左右の足の下に雑巾を敷き、すり足でひたすら歩く。2時間22分12秒、日本歴代2位、女子単独レースなら世界最高と評価された記録保持者の、じつに不恰好な、しかし競技への真摯な姿には、強い意志と、なぜか気高さというものがあった。

 25日の北海道マラソンで、2年ぶりにスタートラインに立った。棄権は一度も考えなかったが、血マメには苦労したようだ。

 さて、私たちは2年ぶりに待ち合わせをした。プラットホームに立っていた彼女は、2時間39分もかかるレースをしながら不恰好ではなかった。競技者としていいマラソンだったとは、本人も思っていないだろう。
 しかし、これだけは言える。彼女が立った札幌のスタートラインは、これまでのどんなレースよりも苦しい「レース」の、じつは輝くゴールであったのだと。

(東京中日スポーツ・2002.8.30より再録)

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