■セブンアイ
 
「チャンプ」


 切ないのは、顔や額に、深い傷や腫れ、出血もなかったことである。
 7月29日、日本ボクシング界に君臨していたチャンピオン3人の1人、WBAミニマム級の星野敬太郎(花形)が、32歳11か月の史上最高齢での防衛に挑み、フェアとはいえない判定で敗れて引退を表明した。

 トンカツ屋のチャンプは引き上げるとき、こちらを見つけると、どこも傷んではいないその顔に笑みを浮かべて言った。
「この2〜3年は全力疾走しましたからね。年齢っていう壁や世間の見方にも少しは抵抗できたと思うし、後悔はしてません」
 傷もない顔に、不完全燃焼ではないか、まだできるのではないかと聞きたかったが、言葉を飲み込んだ。32歳が最高齢と言われるボクシング競技の現実、何より過酷さを深く思慮しなくてはならないと思ったからだ。

 一度取材するチャンスに恵まれた。88年にデビューして以来3度もジムを脱走し、その都度ボクシングを忘れるためにグローブをわざわざ人目につかない倉庫に放り込んだという。一番大事なものを目の前から遠ざけては逃げる。今度はグローブが気になり様子を見ると、クモの巣がかかりカビも出ている。
「俺はなんちゅうことをしたんだ」
 グローブを出しまたやり直す。逃げては戻り、逃げては戻り、31歳で世界を制したボクサーの姿は、かっこよさとは無縁である。

「キャリアとは、失敗の数を指すのだと思う」
と話していた。だとすれば、32歳、最高齢での防衛戦に敗れたとはいえ、あの晩見せたファイティングスピリットにこぶしを握り締めたファン、ほかの競技のベテランたちに気持ちは十分通じたはずである。

 別れ際、チャンプは両手でこちらの手を握り締めてくれた。その手には、つい30分前までパンチを浴びせていたとは思えぬほど柔らかく、温かく、力があった。後ろ姿を見送りながら、スポーツ界のベテランが、1人去って行く寂しさがこみ上げて来た。

    逃げてばかりいたけれど
    最後は全力疾走したからね

(東京中日スポーツ・2002.8.2より再録)

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