■ピッチの残像
「“火中の栗”拾って決勝まで来た両監督」


 額に刻まれたシワの数が、なぜか同じだった。7本──。
 予選からこの日、たどりついた決勝までの試合数だと気がついたのは、感激に2人が泣き出した時である。
「選手に感謝しなくてはならない」
 ドイツのフェラー監督はそう言うと、真っ赤な目をさらににじませた。自ら90年の優勝経験はあるが、監督経験がない。本来、このチームの監督になる予定ではなかった。別の監督が麻薬疑惑を起こし、1年の暫定だった監督が、あえて引き継ぐことになった。

 欧州予選ではウクライナとのプレーオフまで苦しみ、今回もドイツを出る日は、見送りの数がかつてないほど少なく、期待されていなかったはずである。大会前には故障者が続出、大会が始まってさえ「退屈なサッカーだ」と酷評された。

「だからこそ、強い誇りを感じる。2位になったことではなく、ドイツが史上もっとも苦しんだW杯を戦い抜いたからだ」

 ブラジルのフェリペ・スコラリ監督も、昨年、ベネズエラとの最終戦でもし敗れればプレーオフにまで落ちかねない事態をサバイバルしている。「プレッシャーは信じがたいものだった。予選であえいでいる時でさえ、W杯の優勝を求められていた」と会見で本音を吐き、苦しい時期を支えてくれた家族全員の名前をあげると、涙ぐんでしまった。

「火中の栗を拾う」という例えは両国にあるのだろうか。終わってみれば、という言い方をする者は多いが、今回に限れば、ブラジル、ドイツとも決して絶対的な優勝候補ではなかった。2人の監督は、歴史をかけたもっとも苦しい時期に、重責をあえて担っている。この日の両国の戦いには、かつての王国がともに、崖っぷちであり、どん底から這い上がってきたからこその喜びがあった。サッカーで見逃してはならないのは、咲いている花の美しさではなく、根の強さのほうかもしれない。

(東京中日スポーツ・2002.7.1より再録)

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