■セブンアイ
 
「森の石松」


 時代劇オンチの私だって、彼くらいは知っている。森、といえば石松。誰の子分かって? 清水の次郎長よ。

 20日、静岡県周智郡森町、「森の石松」の故郷とされる人口2万人の町の文化体育館に、1か月間設置されていた日本のメディアセンター「JAMPS」が敗退に伴って、撤収された。この1か月、日本代表の新聞記事ほぼ全てが、この体育館で書かれたものである。イタリアのようにレストランまで連れてきた他国のセンターと比べると、随分と質素で地味である。各国代表のキャンプ地招聘と比較すると、「日本メディア」の基地というのもまた、申し訳ないほど華がなく、なのに注文が多い、割の合わない協力である。

 最終日、ボランティアの方々と、森町名産の甘いとうもろこしを頂いて楽しい打ち上げをしたのだが、皆さん泣き出してしまう。
 私たちが一体、何をしたというのだろう。仕事の勝手な都合で、閉館時間午後10時を延ばし皆さんの帰宅を何度か遅くした。大量のゴミ処理や大掛かりな掃除、洗面所にはいつでも野花がこぎれいに活けてあった。天然鮎など、差し入れもたくさん頂いた。

「ここで皆さんが打っていた記事が、翌日新聞に載っていると凄くうれしかった。私たちも記者さんや代表の力に、少しでもなれるかなって思えました」。
 恥ずかしくなった。

 期間中、記者たちでわずかなお礼にと、お絵かきに出かけた保育園の子供たちも、最終日、手紙を持ってみんなで会いに来てくれた。体育館で私を見つけると一度しか遊んでいない子供たちが駆け寄ってくる。「選手と私たちの掛け橋になってくれてありがとう」と書かれていて、みな真顔になってしまった。

 石松が本当にこの地の出身かは定かではないらしい。ただ、孤児だった彼がこの辺りを出身だと言ったとすればわかるように思う。山、川に囲まれ、緑が深く、人情が息づく土地を、私はW杯で取材しているサッカーの記憶と同じに、忘れることはないだろう。

 あてもなく来た町も去る日は涙とともに。

(東京中日スポーツ・2002.6.21より再録)

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