■ピッチの残像
「充実感とともに喪失感知るつらさ」


 ピッチでスタンドに向かって手を振りながら、市川大祐(清水)は号泣していた。
「もう一度、時計を戻すことができたらと」
 時計を戻す、とはトルコ戦の敗戦を悔やんで言っているのではない。5月21日、日本代表が磐田キャンプを始めて以来、過ごしたこの1か月を指しているのである。

 その4日前に発表された23人は、まだ「メンバー」であって「チーム」ではなかった。苦しみや困難、喜び、感動をともにしながら、急激な速度でチームになっていったそのプロセスを、市川は「深い1か月」と言った。

 ノックダウン方式による決勝トーナメントが終わったとき誰もが感じていたのは、どうにも扱いきれない悔しさである。ロッカーでは泣く者もいたし、悔しさを態度にして表す選手もいた。しかし誰もが感じていたのは、ある種の喪失感だったはずだ。

「本当に寂しい。明日からこのW杯にいられなくなることが。みんなで過ごした毎日は、本当に楽しかった」

 取材が一段落した中山雅史(磐田)はそう言いながら、ふと笑った。

「幸せな1か月」と、メンバーがチームに変わる日々を形容していた秋田 豊(鹿島)は、若手一人一人に「ありがとう」と声をかけていたという。

 16強は目標であり、使命だった。行ければ「歴史」にはなったが、行けなければもちろん批判の対象になったであろう。
 それを乗り越えたからこそ、ここからは勝ち進んでほしいと願っていた。
 歴史や、日本サッカー界の進歩やら、世界へ衝撃を与えることなどどうでもよかった。
 サッカー選手として、胃のいたむような、吐き気のするような苦しみと引き換えの喜びだけを享受する時間を、彼らに味わってほしかった。

 辛いのは、充実感を知るのは喪失感と同時だということである。
 宴が終わった寂しさは、終わったときにしかわからないということだ。

(東京中日スポーツ・2002.6.19より再録)

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