■ピッチの残像
「無駄のない仕事など、実に、むなしい」


 ビッシャムアベーは、ロンドンの雑踏から車で約1時間、羊が草を食む牧草地を抜け、レガッタが滑るように走る川を渡り、美しい田園風景のすべてを眺めてたどりつく楽園である。もっとも景色だけで楽園を呼ぶのはふさわしくないかもしれない。選手はここで、あまりにも過酷なトレーニングを積まなくてはならないのだから。

 そこはイングランド代表の専用キャンプ地であり、同国の五輪強化センターでもある。いかなる場合でもイングランド代表しか使用できないグラウンドを、職員は「ザ・ピッチ」と呼ぶ。一方、申し込みで一般開放する、市民選手たちの憩いの場でもある。
 何度か取材で訪れており、昨年、このセンターを「楽園(パラダイス)」と呼ぶ選手に出会った。デービット・ベッカムである。

「彼はこのセンターがとても気に入っているんだ。いつもあの自転車を漕いで一般客と楽しそうに話をしている。終わると、みんなでランチに行くんだ。ロンドンの市内から来るのはここがパラダイスだからって彼は言う」

 指導員が教えてくれた。フィットネスクラブならロンドンにいくらでもある。hしかし、ベッカムはスポーツを愛する一般市民と自転車を漕ぎ、雑談をし、共にランチを楽しむ一日のためにここに来る。今大会前もそうして復帰を目指したのであろう。

 日本でこうした交流をすべきだという話ではない。ファンもメディアも日本よりは成熟している部分はある。しかし、選手ではなく、トルシエ監督とサッカー協会は百歩譲るとしても―キャンプ地との交流も練習公開もせず、初勝利の名のもとにここまで無駄を一切省いてきた。明確なのは、たとえ勝とうが、非公開練習や善意の人々との交流を拒否したことと、勝利の因果関係など一切ないということだ。

 無駄のない仕事など、実に、むなしい。

(東京中日スポーツ・2002.6.4より再録)

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