■ピッチの残像
「キャプテンマークに日韓の絆」


 丁寧な日本語で「あの、どうしたら、会えるのか教えていただけませんか」と聞かれて振り返ると、韓国からベルギー戦を取材に来ていた記者が名刺を差し出している。
 日韓共催といってもそれを盛り上げてきたはずの日韓メディアの交流は、原稿の交換以外はほとんどないのが現状である。お互いに笑い、反省しながら、カフェテリアの椅子に座って少しゆっくり話すことにした。

 彼が会いたいのは、98年の日本代表キャプテン、井原正巳(当時横浜M、現浦和)である。日本代表が1勝も、勝ち点1も上げることのできなかったフランス大会で主将を務めた。大会後、当時はJリーグの平塚に在籍し、やはり韓国代表の主将だった洪明甫(33歳)と仕事で対談。文化の違いやキャプテンシーについてフランクな話をした。その後1歳違いの2人の間には「特別な気持が通じ合い、とても尊敬している」と、洪はよく話していた。昨年末、洪が帰国して以降交流はなかったが、記者は、大会前に洪を取材した際の話をした。

「代表に復帰できたことを感謝している。同時に、自分がもしキャプテンマークを巻くのなら、それは日本にいる私の愛するキャプテンに捧げたいと思う」
 洪は、井原にそう言ったのだという。

 井原はこの日テレビのゲストとして歴史的な勝ち点1をスタジアムで見ていた。
 そして帰宅を急ぐ車中のラジオで、ようやくもぎ取った韓国の勝ち点3を聞いて、言った。
「洪が主将でピッチに立ったのを見て、本当にうれしかった。日本代表の1点と同じように誇りを感じました」
 日本の勝ち点1を喜ぶのと同じ気持ちを、韓国の勝ち点3で味わう特別な夜。タイムアップと同時に、プレスセンターにいた日本の記者から大きな拍手と歓声が沸いた。

 彼はちょっと、涙ぐんでいた。

(東京中日スポーツ・2002.6.5より再録)

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