■セブンアイ
 「再会」


 10年前、私たちは、数十メートル先に見える、狭くて暗い、あの記者席で並んで原稿を書いていた。
 4月30日、甲子園球場の中日戦は藪の力強く繊細な投球とともに、「ラッキーセブン」に突入するところだった。老若男女誰もが、4つ200円の風船を真剣な表情で膨らまし始める。前にいた女性が肺活量不足なのかまごついていると、連れではないおじさんが「かしてみい、間に合わんがな」と、あっという間に膨らませてしまった。
 甲子園の風船だけは、大の大人たちに本当にそれでいいのか、少し冷静になっては、と声をかけたくなる。もちろん親愛を込めて。

 スポーツ新聞時代に一緒に巨人担当をしていた彼は、私より早く会社を辞めアメリカに渡ってメジャーを学び、今は阪神のフロントで、彼から数年後に辞めた私は相変わらず学ばず体力任せで。
 彼の送別会を最後にもう10年が経過していた。出張の折に訪ね、10年前とは違う席で、違う立場で野球を見ながら、なぜか心が深く揺さぶられた夜である。

 ちょうど30日の朝、開幕5連勝をリグレー球場(シカゴ)で果たしたドジャース・石井一久がスポーツ紙の手記に「レンガと蔦、そしてホットドッグを焼く匂いが立ち込めていて神宮に似ていた。幸せな気持ちで投げられた」と書いていた。
 いまだにロイヤルボックスもVIP席もない、記者席も相変わらずの狭さと暗さの甲子園には、しかし蔦が絡み、世界中ただこの球場だけだと思われるあの、「イカ焼き」の匂いが立ち込めていた。

「プロ野球がおもしろくないとは思えないんです。やることはたくさんありますから」
 彼は言った。同感だ。

 球場には、新緑の蔦に約80年の歴史が絡まり、歓声が響き渡り、ここだけの匂いが立ち込め、人々の笑顔が溢れていた。阪神電車で大阪に戻り、新幹線の最終に飛び乗った。
 彼が可能性を信じてプロ野球に携わっていること、そして、甲子園のスタンドで再会できた幸せを胸に、目をつむる。
 歓声と、夜空にかかった2本のアーチが蘇った。

(東京中日スポーツ・2002.5.3より再録)

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