■セブンアイ
 「スポーツと音」


 原稿を打つ、と書いたら、「原稿は書く、が正しい。あなたは物書きでしょう」と読者から指摘を受けた。ご指摘通り万年筆や鉛筆なら当然、書くと表現することが正しいし、職業は「物書き」である。しかしパソコンでは「書く」より「打つ」が合う。先日、新幹線で原稿を打っていたら、母親、兄弟が隣に座った。
 母親は、騒いでいた子供たちを叱る。
「すみません。お仕事中なのに」
 謝られたが、彼らが唄っていても騒いでいても、原稿を打っていれば、どんな音にも全く反応していないことに気が付いた。そもそも現場は騒音だらけのスタジアムなのだから。

 先日「スポーツでも効果が立証済み」とされた耳せんを試供にもらった。ソルトレーク五輪ジャンプで史上2人目となるノーマル、ラージ、両種目を制覇した20歳のアマン(スイス)は、緊張や恐怖心を克服して精神を安定させるために、耳せんをした。彼のメダルは「音」との戦いに勝った結果である。無音ならリラックスできる、と言った。

 正反対の例もある。
 二輪500ccで世界と戦い続けるノリックこと阿部典史は、ほとんどのライダーが耳せんをする中、ヘルメットの保護パットさえ取っている。サーキットのあるいはバイクの凄まじいばかりの「音」と並走しなければ不安だ、パーツのわずかな異変も音で判断するのだという。

 スポーツと音の関係は、興味深い。
 長野で世界フィギュアが行われている。長野五輪を前にした頃、あるトップペアの演技中、曲が止まったのを目撃した。
 リンクは騒然としたが、2人は最後まで滑走し(再滑走もした)「心に響いた音を、聞こえる、と言うのです」と話していた。
 忘れられない。

 静寂の中で万年筆を使って、原稿を「書いて」みたいとも思う。もっとも、いつも聞いているボールの音、ファンの絶叫や野次がないと「どうも落ちつかない」と、テレビのスイッチを入れてしまいそうだが。

(東京中日スポーツ・2002.3.22より再録)

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