Bi-Weekly Column 1/8「Eye from the SHOT
南米で思い出した 呂比須の「初心」


 心の奥底で目覚めたのは、ゴールを狙う「ストライカー魂」だけではなかったようである。
 日本代表は、初出場した南米選手権(バラグアイ)で勝ち点1を奪うのがやっとだった。
 しかし、3ゴールのうち2点が、南米で育ったこの人のゴールだったのは、不思議な偶然かもしれない。
「それが何なのか、口で説明するのはとても難しいんですが、何かを思い出した気がしました。何か忘れかけていたものが、もう1回呼び覚まされた、そんな気がしたんです」
 呂比須ワグナー(グランパス)は、ボリビア戦が終わり、バスに引き揚げる時、ふとそう言った。
 初戦のペルー戦では、名波浩(ベネチア=イタリア)からのフリーキックに頭で合わせて、大会第1号ゴールをものにし、ボリビア戦でも同点PKを慎重に決めた。
 日本への帰化が認可され、代表のユニホームを着たのは、'97年9月のワールドカップ・アジア予選対韓国戦(国立競技場)。同年11月のソウルでの韓国戦以来、じつに1年7か月ぶりのゴールは、彼が生まれ育った土地でのものとなった。
 南米サッカーの原点ともいえる長くラフな芝、水分やドロをそのまま含んでしまうようなボール、体をえぐって入り込んでくるような相手のタックル。呂比須は、現地での取材中、これらがいかに手こずるものかを説明してくれた。
 同時に、懐かしそうでもあった。
 子供の頃には、体が大きくはなかった。荒れたラフな芝でのプレーや激しいタックルに耐えるために、足元での「ボールキープ」を徹底的に練習したという。ほかの選手よりも、あとボール半分、たったそれだけの範囲をキープできれば、生き残れる。
 ボール代わりだった、母のストッキングを丸めたもの、母が無理をして何とか購入してくれたきつめのスパイク。自分の原点を、パラグアイのスタジアムは思い起こさせてくれたのだろう。
「昔の自分はこういう芝やラフプレーが得意だった。なのに今回来て、下手でひ弱になった気がしたんです。ダメですね。ブラジルで夢見てた頃、JFLで戦っていた頃をもう一度思い出さないとね」
 南米選手権で呂比須が取り戻そうとした初心は、「環境に勝つ」という日本代表にとって、最も重要なテーマの1つとなるはずだ。

(週刊サッカーマガジン・'99.8.4号より再録)

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