「夏休みの願い事」
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


 七夕前、駅で見つけた小さな笹の葉に、赤や黄色のたんざくが揺れていた。その横には「夏休みの願い事を書いてください」とある。水色の短冊をめくると、4年生の男の子が書いたお願いごとがあった。「サッカーがうまくなって、今年の夏休みこそ、試合に出られますように」。ささやかな夢だけど、かなえるのは結構難しいかもしれないな、そうつぷやきながら短冊を元に戻した。
 夏休み、という響きには、今も、どこかワクワクするようなものがある。小学校のころ、宿題の絵日記が特に下手で、いつも「文章と絵が合ってませんねえ」なんて笑われたっけ。今回は、有名選手の話ではないし、一流選手の技の極意はないのだが、代わりに夢一杯のゲストが主人公だ。
「お姉さんはねえ……」と、言いかけて、さすがに良心がとがめた。なにしろ相手は、12歳の男の子だ。純真な子供に、ウソはいけない。言い直そう。「おばさんはねえ、しんぶんしゃにつとめていてぇ、サッカーのしゅざいをしてます。それで、サッカー・マガジンというところに、きじをかきたいので、きょうはカズマ・クンにデンワしました」。ゆっくり、大きな声で説明する自分に吹き出した。この欄を担当してくれるマガジン編集部・川合君の母上は小学校の先生だ。「首都圏に住んでいて、できれば、チームに入っているサッカー少年で、レギュラーではない子はいないかなあ?」というわがままな難問に、「ああ、昔の教え子が」と、いとも簡単に答えを見つけて下さったうだ。
「サッカーは好き?」
「はあい」。ちょっと甘えん坊そうな、でも元気のよい返事が返ってきた。「ん、今は。でも前は、コーチが、何やってるんだ! ダメだろ、なんていつもすごく怒るんで、サッカーがつまんないなって思ったりもしました」
 今回の主人公・高橋一馬君は、東京都下の小学校6年生。サッカーが大好きで、小4で、ある有名な強豪チームに入ったが、ついて行けない。今か、今か、と胸をドキドキさせて出番を待っていても、いつも声はかからない。お母さんは、担任の川合先生から、女の子をからかっている、とか、しょっちゅうケンカしていると、いつも御注意を受けた。手を焼くやんちゃ坊主が、サッカーに行くとなぜか、おとなしくなる。
「ええ……」。母・福子さんは、受話器の向こうでため息をついた。「ええ、なるぺくコーチに怒られないようにって、おとなしい静かな子でいようとしたみたいです」。小学校4年ですでに人生の「選別」が行なわれ、抵抗できないという事態に、高橋さん親子は昨年、ついに退団を決心した。
 さて、先月に続いてまたも、誕生日調査という難しく詳細なデータ(!)を紹介しよう。じつは、もう10年以上も前のことだが、日刊スポーツで高校サッカー選手権のデータバンクを作ったことがある。アンケートに協力をいただき、これをコンピューターで一括管理しようというもので、全国大会出場校の膨大な資料を入力した。
「ん? 何か変じゃない」。単純作業だったが、しばらくして気がついた。データの読みが深い、わけではなく、生年月日を入力しながら、やたらと4、5、6月生まれが多いことがわかったのだ。
 当時のデスク、先輩のおかげで、ほかにも、高校野球の全国大金、全国高校ラグビーでも同様のことを調べてみた。高校野球は、さらに4月生まれが多かった。確か、高校サッカーは4月生まれが全体の約15%もいて、逆に早生まれ(1、2、3月)を全部合わせても、5%以下だった。さらに、1月生まれを13、2月を14、3月を15とならして平均値を計算すると、7.2か月程度と、1年の3分の1程度のところに、人材が集中している。
 以下デスク、担当者で、ある仮説を立てた。ただの仮説だが、4、5、6月生まれは、季節の関係もあり、体力的には非常に恵まれる傾向はある。学年の先頭に生まれ、早生まれの子供たちと比べて、丸1年近く成長が進んでいるからだ。
 仮に、一緒にスポーツを始めた場合、運動神経や体力の差はあっても、片方はいとも簡単に習得できることが、片方には体力不足ゆえに一年後にやっとできる、そんな現象が起きる。つまり、最初にできた子は、次々とチャンスを与えられる、いわばエリートになり、逆にできない子はずっと使ってもらえない。仕事は、球拾いに声出し。子供時代、すでに機会均等ではなかったひずみが、数字に現われたのではないだろうか。
 ちなみに今年の高校選手権の決勝戦、市立船橋と、帝京でも40人の登録選手中、早生まれはたった2人。逆に4、5、6月が15人もいる。「しかしね、あなた、それは単に偶然でしょう」。10年前、結果を持って、あのとき、文部省のどこかの部門を訪れた。すると、すぐさま一笑に伏されてしまった。
 試しにその学年のすべての月の出生児を調べるという、気合のこもった調査もした。すると、むしろ早生まれの子供が多く生まれている年もあった。最初に下手くそだった子たちは、いつしか網のすき間からこぽれ落ちているのではないだろうか。個人的には偶然とは思っていない。人材の偏重起用のヒントがあるかもしれない、ということなのだ。
 問題は、指導者側にだけあるのではない。高橋君のお母さん、福子さんはこんな指摘をして笑う。「親とっては、サッカーも、ピアノと同じお稽古事なのかもしれませんね、だって会費払うわけですから。目に見える成果が欲しくなりますよね」。あるシンポジウムで、「親御さんからJリーガーにしたい、勝てと、プレッシャーをかけられます」というコーチの質問を聞いた。競争も、形によってはとても楽しいものに変わる。しかし勉強も就職も競争で、スポーツでも、というのではいつ息抜きするのだろう。勉強や就職で競争させられ、さらにスポーツでも選別では、子供もたまったもんではない。
 高橋さんたちは、日系ブラジル3世のリカルドさんたちとチームを作った。ミニゲームだけ。アップもしないし、ケンカしてもほうっておく。
「会費払ってますから(笑)、最初は、えー、アップもしないで5分が経っちゃったーなんて騒いでましたが、一馬の様子を見ていると、見違えるようにはしゃいでました。ああこれでいいんだ。楽しければいいんだ、と分かったんです」。リカルドさんの次に子供たちの面倒を見てくれている刈野さんも、同じポリシーの持ち主だ。「遊ぷ延長線上でいい。自分で考えてほしいと思ってます」と、自発性を一番の主題においているという。
 '90年夏、プロ野球のオールスターで、彼は、ベンチの片隅にポツンと立っていた。「座らないの?」と聞くと、「自分なんて、試合前に、大先輩のいるあんなところに座れませんよ」と、苦笑いしていた。大きな体で、控えめにしていたので強く印象に残っている。しかし、あれから5年後のこの夏、彼、野茂英雄投手は、大リーグのオールスターのベンチで、サインをもらい、ハイ・タッチをしてはしゃいでいた。あのシーンを見た多くの人たちが「楽しそうな表情に感激した」と、興奮していたが、ということは、いかに、日本で見ているスポーツが楽しくなかったか、ということの裏返しだ。
 このコラムでも書いたが、野茂は野球名門高の受験に失敗した。気も弱いし、肩も柔らか過ぎてダメだと思っていた。高校のドラフトにはかからず、日刊スポーツとのインタビューでも、組合がしっかりしていて、駅に近い会社に入ろうと考えていた、などと笑える話をしていた。野茂の成功というのは、エリートからズレていたがために個性とか、独自性を捨てずに来られた成果なのかもしれない。
 オールスター放映中、一度だけ、野茂が笑顔で空を見上げたシーンが映った。久しぷりに夏空でも見上げてみよう。1人でも多い子供が楽しい夏体みを過ごせますように。

(週刊サッカーマガジン・'95.8.6号より再録)

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