賢者は敗北から学ぶ
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


 覚えていろよ、と言われても……。相変わらずの「美しいオフィス」で、手紙を読みながらつぷやいた。久しぶりに会社に帰ると、メイルポックスから郵便物があふれている。まずは米国で合宿中の陸上選手からの絵葉書。ずいぷん景色のいい場所だ、練習も充実していて、今年は自己記録も期待できる。次は「弾丸娘」こと、アルぺンスキー滑降の川端絵美が独立して個人事務所の社長になったという知らせ、偉くなったもんだ。絵美にいつか、何でもやるから、と雇ってもらおうか。それから記者会見の知らせが3つに、そして……読者からの手紙もまじっていた。
「覚えていろ!」と汚い字で、──人様のことは言えませんが──書きなぐってた読者の手紙には、わたしの記事が貼られていた。「シゲさんが辞めたら、横浜Mのサポーターも辞めてやる。お前も覚えてろよ」と言う。サポーターを辞めるのに、わざわざ断ってくれなくていいのだが、ていねいな人だ。横浜Mの守護神、松永成立の話は、今更書くまでもない。しかし、優等生マリノスにもようやくプロ的騒動が勃発し、いろいろな意味で、他クラブの先鞭をつけたと思えば、サポーターは喜んでもいいくらいだ。
 あらましは簡単だ。松永とソラーリ監督、およぴ息子のコーチとは、ソリが合わない。松永はあれ以前にもミーティングの中座を何回かしており、これだけでも、クビは覚悟しなくてはならない。そして最後は先発を外され、監督に暴言を吐いて飛び出し、フロントに退団、移籍を申し入れた。しかし、1週間後、今度は、残留と起用を願いつつ謝罪した。それだけだ。
 結論もまた簡単だ。プロは、雇用でなく契約よって成立する。だから、自分で撒いたタネは、自分で刈るしかない。こんな話、プロ野球ならいくらでもある。新天地で最善を尽くせばいい。松永なら鳥楢で必ずやる。1か月間、単独練習をやり抜いた松永の意思、チーム練習以外に松永の練習を助けた、エジーニョ、木村、川俣らコーチ陣の思いやり、それらには心から敬意を払う。JFLにまた1つ、松永を応援するという楽しみも増えた、と思っている。
 ソラーリ監督といえば、これも契約で、負ければクビだ。「監督業は、みなさんが思っているほど自信たっぶり、なわけではないんだ。わたしも非常に臆病だ。すべてに懐疑的で、何でこんな疲れることをやってるんだ、そう思うよ」。この騒動の期間中、苦笑いしていた。
 臆病ですべてに懐擬的、といえば、21日のキリン杯初戦、広島でのスコットランド戦が頭に浮かぷ。戦いを挑むよりも、臆病であることの方がはるかに意味を持つ時もある。広島での日本代表には、「臆病さ」がなかったように思う。
 日本代表はあの試合前になぜ、大雨の中でのアップをしなかったのだろう。
「冷房の効いた都塵から、炎天下へいきなり出て行って試合したような感じ、じゃないですかね」
「あのクラクラ、っとする感じだね」。試合開始直後、川崎担当のワクナベ記者は、上手い表現をしてくれたが、選手のスッテンコロリンを見るにつれ、疑問はどんどん大きくなった。
 前日の20日、試合前最後の練習を終えた加茂周監督に、記者が聞いた。「監督、あしたは大雨みたいですよ」。監督は記者たちへのサービスに、ジョークを返した。「ワシは、(屋根のあるベンチに座るため)濡れんからええわ」。記者団の輪から、いっせいに笑い声が上がり、和やかなムードが広がった。まさか、その「濡れん」が、試合の勝敗を左右するとは思いもしなかったからだ。
 試含までに降った雨はじつに一晩で45ミリ。もはや、固定式であろうが、雨用の取り替え式であろうが、どんなスパイクを履こうとも、一向に関係ない、という状態まで、芝が水を含んでいた。試合開始前25分、わたしは通路の窓越しに、ぼんやりグラウンドを見つめていた。
 日本が屋根付きの陸上用ピットで体操を始めたころ、スコットランドはどしゃ降りの中、ブラウン監督を含め、フィジカルコーチ、ドクターまでが、グラウンドに出ていた。最初に行なったメニューは、予想を裏切って、スライディング練習だった。まっさらなユニホーム、ストッキング、スパイクをいっぺんでずぷ濡れにしてしまう。指示したのは代表キャップ64、という42歳のベテランGKで、若いチームを引っ張る主将レイトンだった。
 レイトンは、自分の前半の守備範囲だけでなく、反対側、つまり前半日本のGK前川が守る地点まで確認をしている。ブラウン監督は、自らトレーニングウェアで、グラウンドを一周し、足を入れて水のたまり具合を確認。選手を呼んではさまざまな注意をしている。加茂監督は、アップをしなかったことについて「あまり水が多いので、無理にやらせることはなかった」と、試合後説明した。ブラウン監督は「日本は、(芝やグラウンドの状態を)よく知っているのだろうと思った。サッカーにおいて用心深いに越したことはない、という孝えだ」と、答えてくれた。
 挑戦者として、攻撃的なサッカーを看板にしたはずの日本が、一体何を気取っていたのだろう。まさか、アップで試合が決まるわけではないが、ホームでありながら苦戦したのは、これも一因だ。敵はすでに、水で重くなった装備と、情報を十分に備え、国歌を聞いていたのだ。
 今年3月、情報監督のわずかな差が、勝負を分けるという手本を、目のあたりにした。10年以上記者をやっても、そうお目にかかれる「失敗」ではなく、世紀の、と言っていい。
 ノルディックスキー世界選手権(カナダ)、複合個人戦前半のジャンプで上位を独占した日本勢は、後半の距離でも、最大3分3秒もの差をつけていた。楽勝、と思われた距離スキーで、思わぬ波乱が起きる。気温が急上昇し、日本が使ったワックスが結果的に合わずノルウェーに大逆転されてしまうのだ。ノルウェーは、気温上昇を見込み、スキー板に水を切るためのストラクチャー(数ミリの細かな溝)を入れていた。
 惨敗翌日、入念な試走で新たな敗因として、ワックスではなく、滑走面に、近くの工場から出るススが付着することが判明する。ノルウェーは、コース数か所に、雑巾を置いて、それをふき取っていた。日本も、スタッフ総出で雑巾にベンジンを含ませ、このスス取り雑巾作戦を展開。団体戦では、個人戦のまさに「雪辱」を果たしてみせた。
「別に油断したわけではないが、反省して学びましたよ。それにしても、こういう状況にピタリと合わせてくるのが、複合王国ノルウェーの伝統と、底力です」。荻原は大敗後、さばさばした様子でそう話していた。どしゃ降りの広島で、スコットランドが見せたたった30分そこそこのアップにも、荻原が話していた伝統国の「底力」がうかがえる。
 W杯最終予選のドーハでも、情報戦についてささいなミスはあった。イラン対韓国戦のビデオ撮影担当のコーチがIDを忘れ、競技場内に入ることができず、当時の清雲コーチも確か、サウジアラビアとロシアのテストマッチ視察に、ビザをもらえなかったと記憶している。ビデオ自体は入手できても、問題は、あの苦い思い出が今、どこかに生きているのか、ということだ。
 来週には、イギリスウエンブリー国際大会が始まる。1923年に建設きれた聖地も今は経営難で、1年で12回のコンサートを催し、その充上げの25%をスタジアム株式会社に入れている。また、株の一部を米国人が持つために、アメリカン・フットボールも何試合かは行なっているという。
 ロンドンといえば'86年、マラソンの瀬古利彦が恩師・中村清監督を亡くして、初めて海外賞金レースに優勝した場所だ。当時のノートをパラバラとめくっていたら、監督が生前、うるさいほど繰り返していたという言葉が載っていた。「賢者は敗北に学び、愚者は敗北に浸る」。確か、これも、イギリスの元首相、チャーチルの言葉だったと思う。

(週刊サッカーマガジン・'95.6.14号より再録)

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