「プライドと孤独」
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


 これだから、巨人はイヤなんだ。空気清浄機を交換に来たオジサンに取材したところによれば、「こんなに短期間にフィルターが真っ黒になるとこ、見たことない」というほど、環境の整った「美しいオフィス」で、わたしはつぶやいた。
 シーズンが始まると、社内に20台以上あるテレビは、プロ野球かJリーグ中継で独占され、みな、自分の仕事をこなしながら、チラリ、チラリと画面を見やる。編集局内が、戦況ごとにドッと沸き、拍手をしたり、ため息ついたり、爆笑したり、これがシーズン中の日常風景だ。
 自分は、と言えば、この日は、伝票整理という大仕事をこなしながら、巨人対ヤクルト第3戦、2点を追う巨人の攻撃を何気なく見ていた。「アーア!」という大きなため息の原因は、巨人の6番、マックにさせた「送りバント」のせいだ。9回無死1塁、追加点のチャンスに、送りバントと来たではないか。
「今のマックの網子を考えると仕方ないでしょう」「チームの勝利優先だ」と、解説者たちは釆配を、必死でかばっている。何を言っているのだ。5点打線と豪語したのは誰だ。この日、毒ガスだ、荷物検査だという物騒な中、わざわざ東京ドームまでやって来たファンたちが見たかったのは、大リーガーの送りバントなんかじゃないはずだ。まったくつながりがないと言われながら、あえて4番打者ばかり揃えているではないか。こんなポリシーのない打線では、優勝は難しいだろう。
 マックの表情をずっとカメラ追っていたが、唇を強く、それは強くかみしめていた。頭を、決して下げまいとし、打てない自分に怒りの声を上げ、プライドと孤独と必死で戦う横顔は、しかし、野球ではなく、最近、よく見ている表情と全く同じだ、と気が付いた。
 足掛け3年もの「片思い」に耐え忍んで、ようやく「恋愛」にこぎつけた、横浜Mサポーターのみなさんなら、もうわかるかもしれない。開幕ダッシュで首位戦線をキープした、ソラーリ監督の采配も十分堪能した、続々と出てくる若手たちもみんな魅力的だ。だけど、何かが足りない。そう、あの人の「左足」だ。
 Jリーグ初代得点王、ラモン・ディアス(35)も、今、プライドと必死で戦っている。開幕戦では、体調を崩し、初めてスタメンを落ちてしまった。15年以上の長いプロ生活でも、開幕戦に出場しなかったのは、これが初めてだったという。アルゼンチン、そして日本と、2か国の1部リーグで得点王を蜂得したゴールゲッターでもある。
「試合に出ながら調整をして行く、それがわたしのやり方だ。まだ結果は出ていないが、チームのために、いい仕事を必ずしてみせる。次を見てほしい」。5節のガンバ大阪軌で、今季初出場をしたあと、ディアスは答えた。ここまで4連勝しながら、初出場した試合で0−4と大敗。いいところは何もない賦合だった。
 獅子ケ谷グラウンドの練習に通って見ていても、これまでの、華麗な、とか、ため息が出るような左足のシュートは、正直なところ、ほとんど見られない。サテライトの男手との紅白戦に出場し、控えのビプスをつけることも多くなった。なりふりかまわず走り、シュートチャンスに、もがく姿は、痛々しい気さえする。
「がんばって」
「ハイ、次です、がんばる」
 通訳の協力がないと、こんな程度の会話しか交わせないが、1人で、獅子ケ谷グラウンドの階投をトボトボ降りてくるディアスの横顔は、必死で何かと戦っている。自分がいないところで、何を言われているか、本人も十分承知している。「ディアスもそろそろ終わりか」と。
 程度の差こそあれ、期待に応えられないという独特のプレッシャ−に苦しむのが、サッカーでは「ゴールゲッター」と言われる人達の宿命だろう。もっとも華やかな注目を浴びる代わりに、それなりに代償も払う。
 昨夏、米南W杯の最中、それこそあふれんばかりの記事が、外電からも、テレビからも流れていた。唯一、心に探く残っているのは、'70年W杯の得点王で、史上最多得点をあげたゲルト・ミュラー(ドイツ)についての外電記事と、これを特集した米国テレビの映像だ。
 かつて、ゴールとのプレッシャーに打ち勝った得点王は今、アルコール中毒を断ち切るためのプレッシャーと戦っているという。
 間違いかと思ったが、本当だった。事の始まりは、自らのレストランの倒産だった。「結局は、サッカーのようには行かなかったんだ。たとえ何回失敗したって、ポールに、チャンスに飛び込んで行くのが仕事だったから、成功すると思っていたんだけどね」。ミュラーは、テレビにも、そんな風に答えていた。信じていた人にも、金銭面で、裏切られ、サッカーの仲間と離れてからは、「あまりいいことはない」と笑った。気持を紛らわすために飲み始めた酒に崩れ、ついに受けた診断は「アルコール依存症」。施設に入院したこともある。
 かつての仲間たちは、「彼はどんなにつらい状況でも、得点を取らねばという孤独と、常に戦い続けた栄光のゴールゲッターだ。絶対に立ち直る」と口を揃え、倒産した負債の一部を肩代わりした。
 彼らは世界中を相手にした、とてつもないプレッシャ−と戦い、結果を出してきた。「たとえ99回シュートが外れても、100回目をあきらめない、それがわたしの仕事だ。その気持がなくなったら? 辞めるときだろうね」。昨夏、ディアスがそんな話をしてくれたことがある。
 今季絶好調の選手、イキのいい若手を声援するのは非常に楽しい。しかし、年齢や不振にもがき、自分のプライドと戦う選手を見守るのは、それ以上に魅力的なときもある。12日、敗れた浦和レッズ戦で、ディアスはようやく今季初ゴールを決めた。左足のフェイントで、プッフバルトら3人のDFを一気に振り切り、最後は「右足」だった。
 長男、エミリアーノ君(11)は、誰より熱心なディアスのサポーターのようだ。学校では友人に「エミリアーノ」ではなく、父と同じミドルネームの「ラモン」と呼ぷよう、強要しているらしい。
 そういえば、印象的な話がある。2年前、得点王を祝う和やかな会見で聞いた話だが、今も気持は変わらないのか、繰り返してみた。
「あなたは世界中で、スーパースターと呼ばれる人たちとプレーをし、芸術的なバスを受けて来たと思うけれど、35歳の今、これからあと、是非パスを受けてみたいという選手はいる?」。ディアスは本当に恥ずかしそうに言った。「どんな試合でもいいから、エミリアーノの。パスでシュートしてみたい」。
 あのとき、苦痛に歪んだ横顔をしていた巨人のマックは、プライドをかけた満塁ホームランを放ち、こちらも多少スッキリした。ふざけた噂に振り回された15日、なんと担当する両チーム、横浜Mと平塚が首位戦線をかけて、しかも、噂のど真ん中、新宿区・国立競技場で対戦した。さすが、やってくれるではないか。
 商店も休業し、警察も超厳戒態勢を敷く中、当然空席が目立つだろうと思い、荷物検査を受けていた女の子に聞いてみた。「平塚も、マリノスも攻撃的なサッカーが看板でしょ。そのチームを好きなサポーターだから、きっと噂なんて気にしませんよ」。千駄ケ谷門で平塚の旗を持っていた女子高校生・フジノさんに、そう教えられた。結局彼女が正しかった。国立はほぽ満員のサポーターで埋まったのだから。
 ソラーリ監督と、平塚のニカノール・コーチが、あの噂をどこまで理解していたかは定かではない。しかし2人は試合前、通路で15分も話し、「いい試合になるように」と、互いにがっちりと抱き合ってからベンチに座った。不安の中、同じように荷物検査を受け、送りバントを見せられた野球ファンと、試合終了まで「アタック(攻撃)」を続けた、闘志あふれる試合を見たサポーターと、どちらが得だったか、言うまでもない。

(週刊サッカーマガジン・'95.5.10-17合併号より再録)

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