スパイクのヒモの結び方
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


「エッ何ですか? ゼンギョウ?」。駅の名前を聞いた瞬間、思わず左胸に手を当ててしまった。日本サッカー協会・トレーニングセンター、通称トレセンのチーフコーチ、カルロス・バチャメ氏(アルゼンチン)のサッカー講習会は、小田急線の「善行(ぜんぎょう)」から近いグラウンドで行われた。
 よりによってわたしが、こんな高名な駅に行くことにになるとは、神様はやはり人を見ているんでしょうか。'94年、ひとつでも「善行」をしたのだろうか。善行どころか、度重なる「悪行」の数々、手を当てた胸がズキンと痛む。「よし、'95年こそは善行を」と、改札口で固く誓って、約束のグラウンドへ向かう。この冬もっとも冷え込んだ日、50歳のバチャメ氏は、もうスパイクを履いて待っていた。「キミは、陸上選手かい?」。バチャメ氏は、「技術」について聞いてきた高校1年生のスパイクのヒモを見るなり、質問に答えず聞き返した。少年のヒモは、甲の上で紐を結ぶ、いわゆる普通の結び方だった。
「いいかい、アルゼンチンではこんな風に足首に巻くし、わたしは、こうやって、スパイクのポイントに1度引っかけて結ぶんだ。ディアス(ラモン、横浜マリノス)もこんな風にやってるはずだよ。足首はテーピングで太くなるからね。ホラ、ちょっとした動きで結び目がズレてしまう。ズレたら、ヒモがほどけたり、スパイクが脱げるよ」。バチャメ氏はそう話しながら、自分のスパイクのヒモをもう1度かけ直し、手取り足取り教えた。
「ヒモの結び方は文字通り、選手の命綱なんだ。もし、ヒモがほどけたりしたら、サッカー選手としてそれは恥だ」。少年は、困ったように顔を赤らめた。氏が、かくも「ヒモ」にこだわったのには理由がある。昨年来日して以来、プロであるJリーグでも、シューズが脱げる場面を、じつに3回も目撃しているのだという。
 ほかにも、いい加減にヒモを結んで、試合中に結び直している「不届き者」を見たし、試合途中でドタバタとシューズを履き替えている選手に、頭を抱えたこともあった。「こんなことは、プロフェッショナルには許されないことなんだが、残念なことにJリーグでは……」。バチャメ氏のボルテージはどんどん上がる。一緒に取材に行っていたマスダ記者とわたしは、なぜかとっさに、スパイクでもない自分たちのクツに、目を落としていた。
 Jリーグの契約更改も中盤を過ぎ、選手の年俸が明らかになっている。プロ野球も同時進行ということもあって、興味深い。今のところ、どこかの選手が「今年はこれだけのミスと故障と、警告による出場停止で、チームに貢献できないこともあった。よって、年俸ダウンで当然だと思う」と言った、という話は聞いていない。それどころか要求額は増える一方で、金銭闘争が熱く展開されている。「興味深い」と言ったのは、年俸の額そのものではなく、その選手が、プレーだけではなく、一体どんな価値観を支えにプロとして生き抜いているのか。1年に1度、それをじっくり知ることができるからだ。
 先ほど「スパイクのヒモも結べないようなプロなんて」と怒っていたバチャメさんに聞いてみよう。「プロフェッショナルとは何か、ですか? それは、どこを、どこから、どう見てもプロであることです」と、イヤもう、ほとんど禅問答のような答えをくださった。どこを、どこから、どう見ても……、いや難しい。今回はプロフェッショナルについて考えよう。
 12月1日、ベレス(アルゼンチン)対ACミラン(イタリア)のトヨタカップが行われた。試合の2日前、フランコ・バレージにインタビューするチャンスに恵まれた。バレー時の顔には、目尻と額に深い皺(しわ)が刻まれており、間近で見ると、とても34歳には見えない。
「いつごろから、プロとしてやっていこうと思い始めたのですか?」と質問した。バレージは笑った。「正直なところ、子供のころから、ただの1度も、プロになれるとは思ってなかったんだ」。意外な気がした。13歳のとき、サッカーを本格的に始めようと、インター・ミラノに入団テストを受けに行った。しかし、アッサリ落とされている。そして知人の紹介で、今度はACミランに行き、合格。みなさんもご存じのように、13歳のその日から1度も、クラブを変わっていない。
「とにかく、好きなサッカーで生活できる喜びのほうでうれしくって。ありがとう、神様って思った」。しかしその後も、クラブは浮き沈みが激しかった。黄金時代と言われる前は、チームの賭博疑惑によるペナルティーを含み、2度の2部落ちを経験している。ベルルスコーニがオーナーとなる以前は、給料が週給となり、経営難から支払いが止まることさえあったという。つまり、好んで使われる「プロとしての当然の見返り」を、もらうことさえままならない時代を長く経験してきたのだ。これも、彼のプロとしての価値観だ。
「プロフェッショナルになるとは、どういうことか、常に考え、忍耐し、実行し続けることだと思っている」。深い皺の理由はここにあった。
 結局プロとは、カテゴリーの問題ではなく、その気の遠くなるような理想に向かって、自分自身を磨き続ける過程を指しているのだろう。誰がいくらもらっても構わないし、もらえるものなら、1円でも多く、そういう価値観もまた当然だ。ただ、金額の高さだけではなく、プロとして魂をも見せてほしい。
 ところで、金銭闘争の大先輩・プロ野球で、先週、おもしろい記事を見つけた。日刊スポーツの「がんばれ! プロ野球」という連載の見出しを見たとき、思わず「ん?」と、首をかしげてしまった。西武ライオンズの工藤公康選手のFA宣言から、西武退団、ダイエーへの移籍までの回顧録なのだが、見出しには「最後は金、を否定したかった」とある。
 工藤は、ダイエーに移籍する理由について「自分がプロとして何に価値を求めるか、それを示したかった」と言う。西武時代には、自分の年俸から最新鋭のトレーニングマシンを数百万円出して購入し、それを球団に置いた、そういう男だ。FA宣言したが、世間もファンも「どうせ最後は金で動くのさ」としか思っていない。しかし、工藤は違った。
 ダイエーとの交渉でも、自分のプロとしての価値観、つまり科学的なトレーニング方法の導入や、練習環境の整備、選手の肉体的な管理を徹底要求し、金額の提示は最後の最後だった。ダイエー側が最後に提示してくれた金額は、非常に高かった。しかし工藤は、自分が西武にいたときと同じ、1億5500万円の現状維持にこだわっていたのだ。「プロなんて、どうせお金で動くものさ、そういう考えを否定したかった」。工藤の指摘通り、金銭闘争に選手と球団がやっきになっている間に、球界全体が縮小していくことは目に見えている。
 サッカーも同じだ。高騰する年俸は、親会社の援助なしには払い切れない。入場料収入が人件費にあてられるのはふさわしいとしていた、Jリーグの理想とはまだかけ離れている。プロ野球に比べれば試合日数は3分の1で、競技場の収容人数も半分以下。つまり、野球と同じ年俸をもらうことは、机上でさえ難しい。縮小するのはJリーグも同じだろう。
 さて、ちょっとご報告を。じつはスポーツ新聞の記者も昨年から、Jリーグばりに「スポーツ紙リーグ」っていうのをやっている。12月末、我が日刊スポーツが、全勝で初優勝を飾ったらしい。なんだ、よっぽどヒマなんだな、と思われるかもしれませんが、サッカーとなると、朝早くから集まるんだそうです。寒さもますます厳しくなるが、「冬来たりなば、春遠からじ」ということで、みなさま、どうぞ良い1年になりますように。また競技場で…。

(週刊サッカーマガジン・'95.1.18号より再録)

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