思い浮かべる「家族」の顔
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


 原稿を打っているときは、背中から殺気が立っているらしい。「スイマセン、お忙しいところ。これ、マスジマさんへの手紙です」。平塚対清水の試合終了後、マガジンでベルマーレを担当するカワイ君が、何やら恐る恐る声をかけてきた。両手で渡してくれたのは、封書だった。
 Jリーグが始まると、帰宅はいつも深夜になる。平塚駅から1人寂しく東海道線の上りに飛び乗り、酔っ払って熟睡しているおじさんを前に、手紙を開けた。千葉にお住まいのユアサさんからで、市民レベルで小学生用の芝のグラウンドを作っているそうだ。「10月23月には、冬芝の種を撒きます。ぜひ見に来てください」。なんとも光栄な招待状、本当にありがとうごぎいました。
 今回は伺えなかったが、趣味は園芸なので、軍手とシャベルは持っているし、雑草取りなら任せてほしい。ぜひ一度見学し、いろいろ教えていただこうと思う。芝生検討委員会にも、待望の会員が誕生したようだ。
 今週は、もう1通、日刊スポーツに封書をいただいた。こちらは、横浜市にお住まいの、ナカタさんとおっしゃる主婦の方。息子さんのサッカーの試合を見に行ったら、後方からのタックルを受けて息子さんは退場。ひざを痛めてしまった。
 子供たちのサッカーにも、Jリーグの悪い影響が出ていると、非常に残念がっておられるようだ。最後に「どうかそういった話も取り上げてください」とある。フェアプレ−については、このコラムでも2週前、鈴木良平さんが「心のこもったフットポール」という温かい原稿を書いておられたし、新聞でも再三取り上げられている。あえて検討することもないのだが、今回は、「臨時分科会」を開くことにする。
 サッカーに限らず、選手がラフプレーや、汚いプレーで倒されるのを見ると、最初に思い浮かべるのはいつも、「家族」の顔だ。
 スポーツ選手の奥さんというのは、なかなか大変な稼業だ。最愛の夫が、目前で大ケガをしたからといっても、泣き叫んだりしない。記者にコメントを求められれば「激しいスポーツですから、ケガはお互いさまです。相手もわぎとではありませんから」と、優しい笑顔で言わねばならないし、間違っても相手のことなど責め立てたりしないでしょう。
 ところがこれが、運動記者などという“お上品”な仕事を10年もやってしまった、自分ならばどうなるか。先日、ほかの会社のカメラマンと雑談していたら、「マスジマさんだったら、なんか、首つかんでふぎけんじゃねえ、なんて言いそうですよね」などと笑われたが、あながち冗談ではない。しかしこれは、「報復」行為にあたってしまう。「非淑女的行為」として、即刻退場を命じられるのでやめておく。
 さて、第1ステージの清水戦だったか、ベルマーレ平塚のベッチーニョが、相手DFの足が顔面に入って、鼻骨陥没骨折をした。鼻血は止まらず、意識も不明瞭。まるでボクサーが3日連続で殴られたように顔が腫れる状況下で、彼が最初に言ったのは、「出産したばかりのデボラ(奥さん)には言わないでほしい」という言葉だった。当時、奥さんは出産のためブラジルにいた。通訳のオオタニさんがまず携帯電話で連絡すると、デボラきんは半狂乱。ニカノール・コーチが代わって説明したが、最後まで錯乱し泣き続けた。
 柏レイソルのカレッカのお母さんが、この夏、息子の勇姿を見に来日した。「試合ですか? じつは、スタジアムでこうして見るのはきょうが初めてなんです。これまでの試合は、あまりに心配で。ケガをするなんてとても見てられませんし」。試合を見たことがない? しかし本当だった。もちろん、海外では、日本とは違い女性や子供が少なく、スター選手の家族は危険も多い。しかし、カレッカの両親は試合の日はいつも、自宅でただ無事を祈っていたという。
 昨年Jリーグが始まって以来、一体どれほど多くの選手が、汚い反則やラフプレーで、戦線離脱することになっただろう。どれが、誰が、悪いということではない。自分がケガするより、相手にケガをさせることが、どれほど後味が悪いものか。こんなことは「まとも」なスポーツマンなら誰でも知っているはずだ。
 ノーラン・ライアンをご存じだろうか。米国大リーグで7回と、史上最多のノーヒット・ノーランを達成した投手だ。テキサス・レンジャースのピッチャーで、時速100マイル、つまり160キロ! の速球を投げ、しかも、40歳でそれをやってのけていたという偉大な投手だ。
 彼の話を聞いたことがある。たった1度だけ、「危険球」を投げたそうだ。その打者は、いつもの日常会話として、「ライアン、てめえの禿げ頭にライナーぶつけてやるぜ」とか何とか言ったらしい。そして、彼は「上等じゃねえか、思い知れよ、このボケなす」とぱかり、投げたはいいけど、何しろ160キロだ。当然、バッターは意識不明のまま病院直行。試合後、お見舞いに行ったライアンは「ママ、パパはもう死んじゃうの?」と、打者の娘が、病院の廊下で無邪気に質問するのを聞いて、自分は何て恥ずかしいことをしたのだ、と目を覚ましたという。
 つまり、スポーツとはそういうことだ。わざとではないがウッカリして、とか、ついカッとなって、とか、理由はどうであれ、そんなバカげた「一瞬」で、相手を死に至らしめることもできる。危険なプレーは、Jリーグのレベルダウンとともに、存続の危機にかかわる、それは確かだ。しかし問題はもっとシンプルだ。その危険なプレーが、愛する家族を心底打ちのめし、その選手に思いを寄せていた人々の憧れや、夢を一瞬にして打ち砕く。サッカーという競技だけでなく、生活そのものさえ奪う、そういうことだ。
 イングランドのプレミア・リーグ選手会には、「選手同士が互いの生活権を守る鉄則」というものがある。危換プレーをした選手、それを続ける選手には、審判や規律委員会ではなく、選手同士が出場停止処分を裁く。審判の不当な判定云々ではなく、自らが、自らの生活権を脅かす者を排除する。
 9月下旬、ブラジルでもラフプレーに関する重要な決定が出された。カンピオナット・ブラジレイロの1部に相当する24チーム中22チームが出席した会議で、「罰金制度は、フェアプレー精神を植えるどころか、金でカタがつくのなら、というおごりを生んだ」と、警告の罰金刑度廃止を決議。3枚の警告で、出場停止にする措置を復活させた。罰金を導入した今年は、昨年に比べて1試合あたりの警告が4.38枚から、4.92枚。レッドは、0.52から0.70へ増加。FIFAの反則への基準が厳しくなったとは言え、いずれにしてもラフプレーは減少してはいない。ここでも、審判の技量ではなく、選手の「ハート」を問題にしている。
 マイク・タイソンなら、誰でも知っているだろう。ボクシング統一ヘビー彼・元チャンピオンで、残念なことに、女子大生への暴行罪で、今は監獄にいるあのマイク・タイソンだ。彼はどうしようもないワルで、子供の項から暴れたい放題。自分の唯一の友人だった鳩を襲った連中を、半殺しにしてしまった。
 カス・ダマトという、ボクシング界の名トレーナーがいる。この背の低い、愛情探いおじいさんのボクシング学校に、タイソンは入学した。ケンカは滅法強いし、パンチはすごい。しかし、ダマトは言った。「マイク、お前は最高のパンチを持っている。でもケンカには勝てるかもしれんが、スポーツじゃ勝てんよ。いいかい、スポーツってのはね、相手を恐れ、そして相手を尊敬することなんだよ」。ダマトは死んだが、言葉は今も生きている。
 近所で「災害、事故ゼロの日」と書かれた工事現場の看板を見つけた。第2ステージ、少なくともあと5節はある。「警告、退場ゼロの日」。やってできないことはない、やらずにできるはずがない。

(週刊サッカーマガジン・'94.11.16号より再録)

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