■1460の軌跡

第2回:「マケズ」と冷静3番手の視線


たった一つしか席のない残酷なポジションをめぐって
静かにボールを受け続ける3人を、温かな目で見守る男がいる。
情熱的な一番手と冷静な二番手の間で4年前を過ごした三番手は
成長した彼らをどんな視線で見ているのか。

    ◆不思議なバランス

 グループリーグ(第1ラウンド)2戦目となるロシア戦(横浜)を控え、テレビ画面から流れる映像には、ただ淡々と答える2人の表情が映されているだけだった。
 どんな精神状態で、本当のところ調子はどんなものなのだろうか。そんな情報を得られる手掛かりが潜んでいるわけでもないし、行われたインタビューのすべてが収録されているわけでもない。大会が始まり、その合間に行われる選手の取材では、それほど濃密な内容を期待するのも無理な話である。
 しかし、小島伸幸(ザスパ草津)には、それでも十分だった。穏やかに微笑みながら、画面を見つめ、つぶやいた。

「マケズ(負けず嫌い)のヨシカツと、冷静なナラサキ。変わらないところ、いいところは全く変わらない。けれども2人とも、4年前とは比べようもないくらい成長してる、間違いないね」

 4年前のフランス大会、第一GK川口能活(当時横浜M、現ポーツマス)、第二GK楢崎正剛(当時横浜F、現名古屋)、そして自分よりも10歳も若い2人とたたかったGKとして、小島。3人は、国内最後となった御殿場合宿から、本大会を戦い、6月29日に帰国するまでの1か月半、不思議なほどのバランスと、技術的なレベル、モチベーションといったものを保ったまま過ごしていた。
 川口だけが、3試合にフル出場することになったが、それでもジョゼ・マリオGKコーチ(柏、ブラジル)は、3人に、本当に少しも変わることのない練習量と高い緊張感を求め続けていたように思う。
 あれほど、ボールを受ける日々は、競技人生で2度とないだろう。
 3人は帰国後、口を揃えていた。
 あそこまで厳しい練習を積んだことは、おそらく生涯あの1か月半だけだったと、小島も振り返った。

「イングランドで学んだのは」
 テレビ画面に目をやると、川口が自信に満ちた表情で話していた。
「学んだのは、速いクロスへの処理の安定性ですか。パンチングも、より高く、早いタイミングで飛び出すことができるようになりました。体が大きな選手を相手にすることは、自分にとって毎日のことですから」
 話は主に、ベルギー、ロシアといった上背のある国との対空中戦についてのゲームプランである。

 一方、楢崎もこんな話をしていた。
「自分はどのプレーが持ち味というのではなくて、すべてのプレーでトータルバランスを追求してきたつもりです。この4年は、それを一番に心がけてきました」
 高さを意識するか、との問いに、楢崎はむしろそれ以上に、バランスなのだ、と強調する。

 小島が十分だ、と言った理由は、2人の、この2つの「答え」にある。
「これまでの持ち味は変わることがない。けれども、この答えは、今までにはなかったものだと思う。つまり、自分をどうアピールするかなんです。前回、1か月半の間ほとんど毎日、2人がマスコミのみなさんや仲間と話すのを聞いていたわけです。2人ともいつも言っていましたよ。ここまでやって来たことを精一杯やるだけです、頑張ります、自分の力を発揮すればいい、って。全然違うでしょう。今回は、自分の自信というものを、本当にさり気なく、でもこれだけしっかりアピールしていますよね。頼もしい、って、そう思って見ましたね」

    ◆アプローチの違い

 前回、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとのグループリーグ3試合に出場し、急造した3バックのDFとともに4失点に耐え忍んだ川口は、今大会、「自分に足りないものを求めて」、最終的には海外での、決して整備されているとは言えないのかもしれない環境に飛び込むことに、その回答のひとつを見い出そうとしている。取材中、メディアに、もちろん自分への評価に、何より自分に強く主張していたのは、ほかのGKが持っていない、イングランドの経験がもたらしたものである。

 前回、1分の出場時間も得ることはなかった楢崎は、国内でのプレーを続け、ひたすら「GKとしての総合評価」にこだわった。
 楢崎が、その言葉の少ない物静かな性格で、しかし、しっかりと主張していたのは、何が優れている、という評価をされない、彼のGKとしての理想像である。

 2人は目指す、GKとしてのゴールも、アプローチも違う。
 しかし同じなのは、あの4年前からともに再スタートを切り、またも日本を代表するGKとして、ともにここに帰ってきたことであろう。今回、他国のGK陣を見ても、構成はベテランが第一GKで若手がサブといったものがもっともポピュラーなことを思えば、2人のように若い同年代で、2度も代表入りするのは、むしろ希有なものである。

「僕は、彼らのような関係こそ、最高のライバルと言えるんだと思います。本当にいい意味において」

 そして、2人と年代は一緒ながら、少しだけ年下の、しかし力が拮抗している曽ケ端 準(鹿島)が入ったことは、フランスでの、2人の構図──後ろに最年長の小島が構えていたという──を大きく変えるものになる。

    ◆三番手の自分

「僕は曽ケ端君と話したことも、一緒に練習したわけでもないのでコメントは控えますが」
 小島はそう配慮しながらも、若い選手に弱音も情けないところも見せられない、何より今回は、誰が固定という方法ではなく、GKも毎試合違う、これもまた他国とは違う起用方法で、ベルギー戦まで徹底して来ているだけに、曽ケ端の「存在感」を重要だと話す。

 曽ケ端は、こんな話をしている。
 これまでのキャリアでも、チームでのポジションを確保しながらも、代表になると常に三番手としての自分と苦闘しなくてはならなかった。
「これまで僕はいつでも三番手でした。ジュニアユースでも、ワールドユースでも、夢だったオリンピックでも、バックアップで終わっています。ですから今回、ここに入ったことが本当に重要なんです。そしてここで終わりたくないですし、1試合でも1分でもアピールしたい」
 頼もしいGKが加わっている。

 小島は、最後に言った。
「彼らには、これだけ練習したのだから満足だ──そう思える試合してほしい。積み重ねだけが命のGKとして、練習を信じることこそ、誇りだから」

<98年6月14日、トゥールーズ>

 前半28分、日本はアルゼンチン(0−1)のエース、バティストゥータとの1対1からゴールを奪われた。楢崎と小島は、GKのアップを淡々とこなしながらピッチを見て、川口に大声をかけていた。

「バティともロペス(ともにアルゼンチン)とも、そう、スーケル(クロアチア)ともですね、今回対戦したFWとはついに一度も目が合わなかったんです。見えないんですよ、彼らの目線が。(中略)これはGKにするとものすごく怖いことなんですね。彼らがどこを見ているのか、どこを狙っているのかまったくわからない、予想できない。これには驚きました。かくれんぼじゃありませんが、向こうは見えてて、こっちは見えないって、一番怖いことでしょう」

<98年6月21日、エクスレバン>

 決勝ラウンド進出が消え、ジャマイカ戦を控えた日、地元クラブと練習試合が行われた。川口はAチーム、楢崎はBチーム。小島は、怪我をしたGKに代わって、相手チームに進んで入った。「人数合わせ」とも言える状況にも、真剣に、そして笑顔で。

「あのとき、自分も、『ああノブさん(小島)、この人、なんてすごい人なんだ。もしあれが自分だったら』って、そりゃ思いましたよ。最後に来て、ものすごい人間性というか、GKとして尊敬できる人だと、改めて確認したような日でした。本当の意味で強い人だ、そう思いました。(中略)GKというのは、精神的なものを含めて非常に大きな容量がないとダメだと思っています。(フランスでの)悔しさすべてが自分への土産です」

(『6月の軌跡』増島みどり/文藝春秋 より抜粋)

(週刊サッカーマガジン・2002.6.19号(No.872、WウイークリーVol.3)より再掲)

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