◆私のサッカー手帳

第4回:陰の実力者、ゴールキーパー


テレビに映ることの極端に少ない彼らを見るだけで、サッカーの見方も、おもしろさも変わる。
彼らへの共感を、わずかな興味でも抱くことが、スポーツの楽しさを味わうことに繋がる。

    圧倒的な少数人気

 静岡県周智郡森町は、「森の石松」とお茶で有名な、美しい場所である。6月の鮎の解禁とともに、近くの川で釣れた鮎が塩焼きして振る舞われ、近隣の町、磐田、袋井市からは差し入れのメロンも届いた。全国品評会で金賞を獲得するようなウインナーや森町名産の甘いとうもろこしもずいぶんといただいた。
 5月21日にW杯のための日本代表キャンプが始まって以来、私たち取材陣はこの町の体育館で、多くのボランティアの方によって運営されている「プレスセンター」(通称JAMPS)で過こすことになった。
 広い体育館にはマットが敷かれ、舞台もあり、バスケットゴールがある。他の国が本拠地として各地に作った、さまざまな各国プレスセンターと比較すると特別洗練されているわけではなかったが、それでも地元の方々の温かさというのが常に感じられて、みな、大いに満足湘していたと思う。
 4年前のW杯では、フランスに1か月滞在する「アウエー」(サッカーでは敵地という意味で、遠征に出掛けて行う試合を指す)を経験した。電源の形から、電話のかけ方、すべて違う環境で仕事をするのはなかなか厳しいことではあったが、それでも1か月暮らしでいるうちに、たとえ言葉がわからなくても、環境がまったく違ったとしでも、「アウェー」もいつしか「ホーム」に変わるのだということは教えられたように思う。しかし今回は、まったくそういった苦労なく、ホームの居心地を享受した点で、この「体育館」が私たちのW杯を象徴するものだったかもしれない。

 ここが代表の情報最前線となり──といっても、最前線であるがゆえにどこか浮世離れしてしまうのはビッグイベントにはつきものの法則なのだが──さまざまな会見が行われてきた。
 日本代表のほぼ全選手の、いわゆる「囲み取材」による会見は、文字通り、選手を椅子でグルリと囲んで行うものだ。選手によっては、最初は固い表情をしながら、多くの質問によって最後は非常にリラックスして終わることもある。今回は、特に、日本サッカー協会とトルシエ監督が「グループリーグ突破」を目標に、練習はすべて非公開とし、選手が滞在したキャンプ地である地元との交流もほとんどせずに終わったために、この囲み取材だけが唯一の取材チャンスになった。取材するほうは必死である。
 相手が設定する記者会見であれば問題はないだろうが、朗みでは遣手と記者、記者同士、お互いの「あ・うんの呼吸」が大事で、選手がカメラもテープもないところでリラックスしながら話すのが、本来の形である。中には、自分勝手な質問をしてその場の雰囲気を壊す者もいるし、選手を明らかに不快にさせるような質問で、一気にテンションを下げてしまうこともある。

 こうした中での囲み会見に、特別に時間は設定されていない。23人の代表の中で誰よりも長い時間を、ここで、記者とともに遇こしていたのは、川口能活(ポーツマス)であった。ゴールキーパー(GK)3人が出席した日は、体育館の雰囲気もユニークなものに変わった。
 それは3人の、まったくタイプの異なった、しかし同じ仕事に従事するGKたちのおもしろさでもあり、普段はきわめで控え目な彼らの、ささやかだが力強い「自己主張」のぶつかり合いでもあり、それぞれのコメントには、ほかのポジションの選手とは違う「メッセージ」も込められていたようだった。

 前回のフランス大会でレギュラーとして3試合に出場した川口は、彼の積極性と、メディアに対する近い距離感を示すように、1時間半近く、取材の場を離れようとはしなかった。積極的にポーツマスでの経験を説明し、学んだ技やメンタルでの成長ぶりを懸命に説明していた。それは、答えというよりは、自らを納得させるかのような力強さを持って。
 代表において、もう5年近く、同年代のライバルとして川口としのぎを削ってきた楢崎正剛(名古屋)は、自分のアピールポイントを、と聞かれて「メンタル面も含めて、技術の落ち着き。何かがすごいというのではなくて、すべてのバランスです」と話していた。

 曽ケ端 準(鹿島)は、年齢を感じさせない、というと最も若い彼にはおかしな表現になるが、落ち着いた雰囲気をかもし出す。彼らのポジションは、日頃注目されることはない。ピッチにおいて彼ちが注日を浴びるとすれば、それは良からぬ場合であり、ピンチである。しかし、ピンチの場面で好セーブすることなど、実際の彼らの仕事からすれぼほんの何分の一かに過ぎないわけだ。

 ブラジル、イタリア、グループリーグで敗れてしまったがフランスなどの強豪国で、女性に対して行われたアンケートがあり、これも海外の新聞に掲載されていた。
 中に「あなたがサッカーを観に行って、真っ先に見るポジションは」という問いがあ、笑ってしまったのだが、「FW」が最も多い答えであった。華やかな活躍とともにゴールを奪う彼らは、確かに今大会に限ってもなかなかの「いい男」揃いではある。
 ほかには「ラストパスを出すから」といった理由で、ゲームをコントロールする選手のいるMF、「ときどき攻撃に参加するから」DFなど、理由がユニークであったが、言うまでもなくGKは圧倒的な少数であった。
 なぜだろう。
 陰の存在に映るからだろうか。そもそも存存を認知していないからだろうか。
 確かに派手な活躍も、スマートなイメージもないが、「いい男」がいないわけでもない。前回優勝を果たしたフランスのGKで、今大会も出場していたバルテズ(マンチェスター・ユナイテッド)などは「もっともセクシーなスキンヘッド」と、優勝後は、女優や歌手といった有名人にも大人気の選手だった。

    「受難の大食」

 このW杯は、グループリーグを終えた時点で、両チームが無得点だったゲームはわずかに1試合だけという、ゴールの多い大会になった。言い換えれば、GKにとっては「受難の大会」でもある。
 ここ数年、ルールはGKにとって、かなり厳しいものになってはいる。ボールを持ったら、6秒以内にキックをしなくてはならない、とか、現在は廃止されたが、ボールを蹴る際のステップは(時間を稼ぐために)4歩以上刻んではいけないとか、こうした遅延行為を助長するものを徹底的に排除しているし、マテリアルの変化もある。
 ボールほ年々、GKよりもFWにとってより有利な形で進化しているし、スパイクも同様である。ゴールを増やすことがサッカーのおもしろさを倍増させることなのだ、とFIFA(フィファ、国際サッカー連盟)は認識しており、今大会はおそらくゴール数が最も多い部類に入る「ゴールキーパー受難の大会」としても記憶されるのではないか。

 川口、楢崎、曽ケ端たちが去った体育館では、あるゲームが映し出されていた。
 ここには、映画スクリーンに匹敵する大型のテレビが置かれていて、みな、原稿を書く合問に、目線をチラテラと動かしながら他の試合を観ていたのだが、あるとき、GKにとって歴史的になるであろう今大会のGKの苦悩と重責と、また、チームを操っている存在感や喜び、控え目な、しかしどこまでも強い自己主張といったさまざまな要因をひとつにまとめたかのような試合が行われていた。
 グループリーグの、ドイツ対サウジアラビアの一戦である。
 この試合、じつは、欧州の、そしてアジアのNo.l GK同士の戦いでもあった。
 ドイツのオリバー・カーンは、今大会でも最優秀GKをものにするだろうと最も前評判の高いGKである。33歳、今回がW杯は3回目になる。身長188センチは、欧州のGKではスタンダードであるが、闘争心は及ぶ者がいないと言われる。彼の、迫力満点の顔でボールに飛び込まれれば、誰でも恐ろしくなってシュートする足が縮こまってしまってもおかしくはない。今や、世界の守護神中の守護神、と呼ばれる存在だ。
 サウジアラビアのアル・デアイエもまた、同国が初めてベスト16に進んだ1994年のアメリカ大会以来、サウジアラビアのゴールをAマッチ(国同士の代表による試合をそう呼ぶ)だけでも160試合にわたってリードしている。自国のクラブに所属するが、何度か引退を噂されながら、30歳の今大会もやはりピッチでチームを鼓舞することになった。

 W杯では得点王が大きな注目を浴びる。反対にそれはど大きな注目は浴びないが、しかしまったく同様の価値をもって、選手、関係関係者から称賛される賞に「ヤシン賞」というものがある。ほかの表彰には個人名はつかないが、唯一個人の称号を持つヤシン賞とは、旧ソ連時代のGKで、「黒クモ」と呼ばれたレフ・ヤシンにちなんで設けられた賞である。
 黒の上下のユニホームを身にまとい、長い手足を存分に生かしてセービングを繰り返す。その後、病で脚を切断するつらい晩年を過ごしたとされているが、GKの世界にあっては、多くの技術的進歩を遂げた今でもヤシンこそがGKであり、GKとしてこの賞を受けることは、何にも替えがたい名誉なのだ。
 得点王をめぐる争いではなく、GKをめぐる「ヤシン賞」の行方も、少しだけ気にしてもらえたら、と思う。

 勝ち進んでいけば当然この名誉に値するだろう2人のGKの試合は、対照的なものになってしまった。
 アジア最優秀GKを連続して受賞したアル・デアイエは、一気に8失点をし、カーンは逆に完封をした。どれほどの屈辱を持って次からの試合で再起しなくてはならないか、同じGKとしての同情なのだろう。カーンが試合後、最初に駆け寄ってなぐさめているシーンが印象的であった。
「GKにとって難しいのは、とにかく初戦であり、最初の試合への入り方が大会を決めてしまうところがある。そこがFWとは達うところではないか。試合ごとに調子を上げるなどということが不可能なので、落ち着いて、いつもと同じ気持ちでどの試合にも臨まなくてはならない。気持ちの高ぶりというのは私にはないし、第一、……」
 カーンがドイツメディアとのインタビューで答えていた。
「もうプリマドンナが舞台で踊る時代は、終わったんだから」

 プリマドンナのサッカーとは、例えばかつてのマラドーナ(アルゼンチン)のようなスーパースターと、そのスターを中心に作られるサッカーを指す。カーンは、ドイツもそうした選手なしに優勝を狙うとし、その最後尾が自分だと強調していた。
 一方、サウジのアル・デアイエは「GKを始めて最大の屈辱」と試合を一言だけで振り返った。もちろん失点はGKのせいではなく、チーム全体の問題であるにしても、この衝撃は特別なものだった。カーンさえ、「切り替えてほしい、GKならそうすべきだ」と会見で激励をしていた。

 GKには、大きく言えば性格的に2タイプがある。
 カーンに代表されるような闘争心を前面に出して、それがプレーに反映されるタイプ。また、どちらかといえば、感情を表にあまり出さずに淡々とプレーすることでチームをリードするタイプ。
 プレーの上でも、大きく言えば2つのタイプがある。どちらかといえば、自分のエリアを守ることに集中し、飛び出すとき、引いて守るとき、この区別がはっきりとついている選手。またクロスボール(ゴール前にシュートを狙ってあげられる高いボール)などに素早く飛び出し、時には大きくペナルティエリアを飛び出していくタイプがある。もちろん基本的な技術の習得には大きな差はないが、見ていてわかる顕著な例である。日本のゴールを守った楢崎は、性格的には淡々と守り、技術的には基本を忠実に、しっかりと守ることができるタイプだ。

    共通する性格

 私がGKに引かれる理由は、おそらく彼らが「陰の実力者」である点ではないか。陰の、というのは目立たないという意味ではなくて、実はゲームの重要な部分のほとんどを最後尾から掌握しているのではないかという思いからだ。同時に、彼らの性格がどことなく共通しているように思えたことも、興味を深くしてくれるものだった。

「私は15歳だったと思うんですが、それでも、彼のプレーに、兄としてよりもずっと強い何かがありました。以来、GK、GKと騒いでいる不思議な女の子でした」
『ゴールキーパー論』(講談社新書)を書き下ろした際、現在はGKコーチをしているディド・ハーフナー(オランダ出身、その後帰化)の妻ギッダさんに数えられたことがある。
 ギッダさんは、GKの何かについて、全体をつねに配慮する視野であるとか、安心感だと話していた。確かに、彼らの手を見ると、そして握ると、独特な安心感が伝わってくるのがわかる。ディドは、ボールを受け収る動作を繰り返すうちに手が球体になってしまった、という。
 本の中には、サッカーだけではなく、アイスホッケー、ハンドポール、グラウンドホッケー、水球といったほかの「ゴールキーパー」のインタビューをもとにした原稿も入れているが、彼らに共通しているのは、やはり、地味に見えながら、声で、わかりにくいが、シュートコースをまるで将棋のように先手、先手で読んでいくポジショニングで、ポールに飛びつくセービングで、試合を支配していることではないかと思う。

「声というのは、前からは聞こえないもので、不思議と後ろからはよく響くものです。注目されるとすれば、ピンチだったり、がールを横飛びでセーブするところだけれど、本当に冥利に尽きるのは、誰もわからなくても、自分が読みきったコースにボールが飛んでくるときだね。誰もわからないけれどね。1点でも取られたら、たとえ勝っても納得なんてできないね」
 元日本代表のGKだった松永成立(京都GKコーチ)にそう教えられたことがある。ほかのポジションの選手たちとは違い、唯一手を使い、違ったユニホームをまとい、最後尾からすべての情報をコントロールしながら叫んでいるGKたち。

 FWが素敵、MFがかっこいい、という意見に反論などひとつもない。
 しかし、私がみなさんに知ってほしいのは、テレビに映ることの極端に少ないゴールキーパーたちを見るだけで、サッカーの見方も、おもしろさも変わる。彼らへの共感を、わずかな興味でも抱くことが、スポーツの楽しさを味わうことに繋がるのではないかということである。
 W杯は、日頃サッカーを見ることのなかった人々をも歓喜の渦に巻き込んだ。優勝国とともに、ヤシン賞受賞者の名も心に刻んでもらえれば。

●楢崎正剛/26歳、奈良県出身、名古屋グランパスエイト所属。今回のW杯で日本が勝った4試合のゴールをi人で守り抜く。かねてよりハイボールの強さには定評があった。

●川口能活/26歳、静岡県出身、英国l部リーグのポーツマス所属。フランス大会では、日本が戦った3試合をl人で守り抜いたが、今回、正GKともいえる背番号「1」ながら、楢崎の後塵を拝すことになる。

●曽ケ端 準/22歳、茨城県出身。鹿島アントラーズ所属。日本の次代を担うGKとして注目を浴びている。

●オリバー・カーン/大会前より最も評価が高かったドイツのGK。1969年生まれ、33歳、バイエルン・ミュンヘン所属。94年以来、ブンデス・リーガなどで数多くの優勝に貢献。弱点がないGKとして名声を得る。しかし、W杯アメリカ、フランス両大会など、ナショナル・チームでは補欠に甘んじてきた。2000年欧州選手権から正GKを獲得。今大会にかける思いは強く、キャプテンとしても貢献。

●レフ・ヤシン/W杯で唯一個人の名称を冠する「ヤシン賞」のモデルとなった、旧ソ連のGK。1929生まれ、黒の手袋・ソックスをつねに身に付け、優れた反射神経ででゴールを守り「黒クモjの異名を持った。58年から連続3回W杯のピッチに立つ。91年没。ヤシン賞は94年のアメリカ大会より始まり、受賞者は第1回ミシェル・プロドーム(ベルギー)、第2回ファビン・バルテズ(フランス)。

「婦人公論」1111、2002.7.22号より再録)

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