◆私のサッカー手帳

第2回:審判たちのW杯


冷静であるためには、より熱く。公平であるためには、より情熱的に。
黒子になるために、むしろ自己主張を。
厳格であるためには、ユーモアたっぶりに。
W杯の、実はもう一人の「主役」であり、「代表」である審判たちの素顔は、
人間味に溢れ魅力的である。

    11年で夢は叶った

「あの頃の僕は、ずいぶんと尖ってましたよねえ」
「そうは思わなかったけれどね」
「だって、夢はW杵の審判ですなんて、まだ一度も国際試合を吹いていないにもかかわらずよく言ってましたもん。河川敷でよく話を聞いてもらいましたよね」
「河川敷ねえ、懐かしい。あの方もよく走ってましたね、そう言えば。そして上川君も、彼に負けないくらい、本当によく走っていた。選手以上だったんじゃないかな」
「オレも、お前に負けないように世界を目指すからな、なんてカッコいいこと言ってましたよ。でも、本当に、夢って実現できるものなんですね」
「リラックスして、あとは思い切り楽しんでしまえばいいと思う。大会が終わったらおもしろい話をたくさん聞かせてもらうのを、楽しみにしているから」
「えぇ、今はとても落ち着いた気持ちで臨めるような気がするんです。自分と選手とファンと、3つが楽しい試合になれば、それでいいんじゃないかって」
 韓国への出発直前、気の置けない会話とともにぎゅっと交わした力強い握手には、温かさというよりは、熱さと、どこかに安心感が漂っているように感じられた。

 サッカーのW杯が始まった。
 出場は32か国。こちらの枠は広いが、それでも36人しか「参加」できない超難関でもある。
 今大会、日本人のレフリーが一人だけ参加している。
 上川徹さんは、偶然にも大会期問中の6月8日、誕生日を迎えて39歳。1991年に、Jリーグが、元選手を対象にして開催したJリーグ審判養成講座の第一期生でもあり、98年からは国際主審として世界大会を吹いてきた実績が大きく評価された結果である。
 国際主審に昇格してからは、とにかくアピールが重要になる。
 国際審判が参加して行われるセミナーがあり、その場では、12分間で走れる距離を計測するクーパー走といった走力や体力、レフリングの技術といったものを、FIFA(フィファ、国際サッカー連盟)の審判部に評価される。こうしたテストで認められてFIFA主催の国際大会で吹くチャンスをもらうこともある。評価される反面、逆に試合をうまくコントロールできなかったと、マイナス面を見られてしまうこともある。選手には大陸別の予選がある。しかし審判は、こうした緊張感の中で、何年かにわたって着実に評価を重ねなくてはW杯には行くことができない。主審、副審2人(アシスタントレフリー、以前は線審と呼んだ)の3人が連携することも重要なポイントとなる。

 彼が、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の営業に勤務していた当時、スポーツ新聞社でサッカーを、特に超高校級といわれていた中田英寿選手(現・パルマ)を取材する幸運に恵まれていた私は、ほとんど毎日のように、轟音とともに新幹線が通過して行く相模川の河川敷にいた。プロチームでありながら、この河川敷という状況がどこか牧歌的な、そしてほかにはなかったおおらかな雰囲気を、クラブにかもし出していたのだろう。
 中田選手は、このグラウンドをとても愛していたし、セリエAに移籍してからもここが台風で水没したとき、イタリアから真っ先に「何か自分にできることはありませんか」と電訪をして来たこともある。
 上川氏も、中田選手も、自分たちの夢をいつかかなえようと、あのグラウンドを心地良い川風に背中を押されながら、がむしゃらに走り続けていたように思う。夢を語るに、あれほどふさわしい場所もなかった。
「尖っていた」と笑う理由は、その夢の大きさにちょっと照れくさくなったからだろう。彼の話には、口先だけではない、溢れる情熱があった。まさか、わずか11年で本当にW杯の主審になるとは、本人も思ってはいなかったはずだ。それだけに周囲の期待も大きい。選手と同じように、節2ラウンド(8組の上位2か国、16チームによるラウンド)に進出して笛を吹けば、これもまた日本人としては初めてのことになる。
 日本の開幕戦(6月1日)アイルランド対カメルーン戦で大役を果たし、今頃は、大会中の審判本部となる、ソウル市内のホテルで少しはリラックスしているだろうか。

 完全無欠、絶対服従、厳格、公平といったイメージで語られるサッカーの審判であるが、私は少し違った印象を抱いている。
 冷静であるためには、より熱く。
 公平であるためには、より情熱的に。
 黒子になるために、むしろ自己主張を。
 厳格であるためには、ユーモアたっぷりに。
 W杯の、実はもう一人の「主役」であり、「代表」である審判たちの素顔が、どれほど人間味に溢れ魅力的なものか、ちょっとお話ししようと思う。

    ユーモアとジョーク

 W杯が間近になったある日、虎ノ門のJリーグの傍らにあるコーヒーショップで、私は緊張しながら並んでいた。
 日本でも瞬く間に定着したあの店のレジで、私は、どんな仕事でもあまり感じたことのない、不思議なプレッシャーというものを感じる。プレッシャーから逃れるために友人たちに注文を頼んでも、結局レジから大声で「ねえ、どっち?」を聞き返されるので、自分で買うより仕方がない。
 例えばカフェ・オレを飲もうとする。「ラテですね」と言われ、ここで飲むか、持ち帰りか聞かれる。次に量でサイズを選ばされ、普通のミルクか低脂肪か無脂肪か選んで、そして、ようやくお金を払う。選択肢が多すぎる。
「コーヒー1杯で、そんなことを考えているなんておかしいわよ。スポーツ観戦なんて、もっと複雑だわ」
 友人はみな笑うのだが、スポーツにはマニュアルではなくて、神聖なルールがある。何より、審判がいるのだ。プレーで考えることがあっても、選択で悩むことなどない。

「店内で。普通のコーヒー、ショート」
 隣のラインでひどくシンプルに、そして明確にオーダーをしている外国人の声に振り向く。完璧である。相手に反論の余地を与えないという点でも。
 日本サッカー協会のレスリー・モットラム氏である。スコットランド出身、96年に来日してから、98年から昨年まで4年連続でJリーグの優秀審判に輝いている名レフリーの1人でもある。今年からサッカー協会の審判チーフインストラクターに就任し、日本の審判の技術向上に大きな力を貸している。
 払たちは向き合って席に座った。
 仕事でも、インタビューでもないほんのわずかでも、偶然がもたらしてくれる楽しい時間である。
「Jリーグでの仕事が終わったのですか。それともこれからですか?」
「残念なことに、これから」
 リーグの開催ごとに、全試合のビデオを見ながら、判定に不備や不公平さ、あるいはミスがなかったかを確認しレポートを作成する。鞄には、ビデオがたっぷり詰め込まれている。来日してもう6年。昨年、現役を引退し帰国すると聞いていたが、日本に残ることを選んだ。

「どうやら、私の妻と日本サッカー協会の共謀らしいんだ。確認はまだなんだけどね」
 モットラム氏のジャッジは正確で、しかも試合の流れを損なうことがない。しかし、私は、彼のこうしたユーモアやジョークがとても気に入っている。
「私は引退してスコットランドでのんびり暮らそうとしたんだが、妻は私をまだ働かせたかったようでね。気が付いたら、なぜかこんなにたくさんのビデオを見続けている」
 彼もまた、94年のW杯アメリカ大会では2試合を吹いた、世界的な審判である。元は高校教師で、子供たちが休み時間にサッカーを始め、仕方なく、笛を使わないでジャッジをしたのが「デビュー戦」と笑う。

 サッカーのゲームはよくオーケストラにたとえられる。全員がそれぞれの役割でベストを尽くし、素晴らしい演奏をする。審判は指揮者というわけだ。
 しかしモットラム氏は、審判が指揮者なんてありえない、目立つことはあってはならないし、自我もいらない。日の前の事象だけ見る、とてもシンプルな仕事だという。
 W杯は他界中が注目する試合で、もちろん勝敗をかけて選手が射殺されてしまうことさえ起きる。しかし彼に漂う、包容力とユーモアは、試合をスムーズに進行させ、選手をゲームに集中させてしまう。
 思えば、22人もの、もっと言えば、何かといえばベンチから飛び出して来る監督を含めればさらに多くの、いかつく、鍛え上げた男連中をほんのちっちゃな笛で操るのだから、そもそも存在からしてどこかユーモラスな、不思議なポジションなのかもしれない。

「日本代表はどうでしょうね。楽しみにしていらっしゃいますか。もちろん試合を見るときは、選手より審判の動きをチェックしているんでしょう」
 190センチ近い背をかがめ、笑顔を浮かべる。
「もちろん、成績も楽しみだが、日本はきっとフェアプレー賞をもらえる国になるのではないかと思う。私の母国も第2ラウンドに進んでくれることを祈るよ」
 あれ? スコットランドは出てない……。
「2006年(ドイツ大会)に」
 また笑う。
「ところでコーヒーの注文……」
「簡単なことさ、自分の意志を先に、相手にしっかり伝えればいいんだ」
 貴重なアドバイスだ。

 モットラム氏は別れ際、笑顔で右手を差し出してくれた。なぜ彼らの握手は、こうも「安心感」を人に与えるのだろう。
 今大会では、試合前の、審判と主将の握手をじっと見ることにしている。
 たったひとつの勝利に、プライドと持ちえる技術、体力のすべてをかけて、ぶつかり合う瞬間、審判と彼らが手をつなぐ仕草には、良心や互いへの敬意が無言でも漂うように見える。私が感じるあの安心感、信頼といったものを、選手も感じているのだろうか、と考えながら。

    「世界」を経験した男

 自分の意志を先に、相手にしっかりと伝える──モットラム氏が言ったことは、何もコーヒーショップのカウンターでなくても、むしろサッカーのグラウンドでこそ真実なのではないかと、反芻してみる。
 同時に、これほど難しいこともないのではないかと思う。
 言葉ゆえに、誤解を招くこともある。しかし、言葉はもっとも有効で的確な手段ではある。しかし、審判は言葉ではなく、ホイッスルによってそれを伝えなくてはならないという点において、もっとも難しいコミュニケーションを使命にしているように見える。
 サッカーでは、試合開始(キックオフ)、試合終了(タイムアップ)、ファール、審判はホイッスルを吹き、判定を伝える。90分間にわたって、約10キロもの距離を選手のスピードに合せて走りながら、である。目が届かないから、と、一時は、主審を2人にしてはどうか、そんな試みもあった。

「音色でニュアンスを伝えるんですね。例えば短く吹いて、毅然とした雰囲気を出すこともあれば、軽やかに、明るく、楽しいムードを作ることもできます。特にキックオフ、タイムアップは、ともに強く、はっきりと、そして高い音で吹くんですね。一度だけ、キックオフでしくじったことがありましたね。細かい土が入っていたのが原因で、プーッと実に情けない音になって選手に申し訳なかった。あれ以来、手入れにも気を使っています」

 前回の98年、フランスW杯で主審を務めた岡田正義氏は、上川氏と並んで、協会が審判のプロ化を目指して立ち上げた「SR(スペシャルレフリー)制度」の1号として、4月からリーグ戦でも活躍する。
 大学生だった19歳から「W杯の審判」を目指してトレーニングを積み、昇格を重ね、週末をサッカーに専念するために奥様に「覚悟してくださいよ」と宣言をして一般企業から公務員へと転職をし、その間、何があっても大丈夫なように、と6つもの資格を取り、ようやく「夢」にたどりついた。
 フランス大会では、日本がW杯にデビューした前日、一足早く、イングランド対チュニジア戦を吹いている。

 音色と、岡田氏が言ったのには訳がある。「野田鶴声社」という、極めてシェアの高い会社が日本にあり、おそらくこのW杯でも、ほぼ独占状態で審判に愛用されているはずだ。
 世界中の審判にとって、ホイッスルの憧れのブランドである。
 ホイッスルはすべて手製で丹念に作られ、強く、大きな音を出せる欧米のものよりも、ニュアンスまでを伝えてくれるようなその繊細さ、職人技は羨望の的だ、と、外国人審判に聞いたことがある。Jリーグは定期的に海外から外国人審判を招聘しており、彼らはこの笛をまと購入して帰る。
 岡田氏も、ほかの日本人審判もこの笛を使い、いわば日本の職人技が生んだ「音」と「プライド」を世界に示してきたともいえる。

 ジャッジに迷いがあると、明らかに笛を吹く瞬問が遅れるという。ミスジャッジはいつでも判定以上に、自分自身に対する自信の欠如から生まれる、ともいう。首から下げる者、手のひらに握っている者、ホイッスルひとつ、みな持っている場所は違う。
 岡田氏は、落とさないように手首に笛の紐を堅く結び、手元に置く。野田鶴声杜のものは、耐久性も極めて高く、岡田氏も4年前、フランス大会で金と銀のそれに名前を刻んだものを贈られてからずっと使い続けている。
 私も、一度だけ吹かせてもらったことがある。笛を吹くくらい簡単な話だと思う。しかしこれが難しい。ただ力をいれて吹くだけだと、中のコルクが空回りして高いだけの、重みのない音になってしまう。丁寧に吹きすぎると、今度は、どこか野暮ったくなって「音色」とは呼べない。

    伝えているのは、私の意志

 ボールゲームには審判がいる。しかし、選手とともに、これだけの移動距離をこなし、判定のために絶好のポジションを確保しなくてはならないとなると、サッカーの審判はやはり特別な存在である。
 考えてみれば、多ければ10万人もの観客を飲み込むようなスタジアムにおいてさえ、なぜか、審判の笛の音だけは消えてしまうことがない。

「伝えているのは、単に判定ではなくて、私の意志であり、それをうまく表現することによって、サッカーを、彼らのフェア精神を素晴らしいものにしたいという願いでもあります」
 岡田氏は言う。
 面白いことに、一言も発することのないコミュニケーションが、人々を一瞬にして熱狂の渦に巻き込むサッカーで世界中をつないでいる。審判にはそんな役割もあると気が付いた。

 彼らの「音」と「声」は無言だが、満員のスタジアムに鳴り響いているはずだ。
 高く、低く。
 強く、弱く。
 短く、長く。
 強さと優しさを、23番目の背中に、どうぞ注目を。

●上川 徹/今回のW杯で唯一の日本人審判。鹿児島県生まれ。東海大を経てフジタのFW、DFとして活躍し、91年に審判に転身。W杯出場の日本人審判は彼で4人目。

●レスリー・モットラム/1951年英国スコットランド生まれ。91年から国際審判になり、国際試合を60試合担当。96年来日、2001年までJリーグで笛を吹くと同時に日本人審判の育成にあたった。

●岡田正義/1958年東京生まれ。東洋大時代にサッカー部を引退して審判の道へ。98年のW杯フランス大会では、イングランド対チュニジア戦で主審を務めた。W杯の試合で主審を務めたのは日本人としては2人目。

「婦人公論」1109、2002.6.22号より再録)

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