服部年宏、天皇杯奪取宣言!


 磐田のロッカールーム前は、静まり返っていた。
 今年のサッカー界の総決算ともいえる、Jリーグ・チャンピオンシップ第2戦(11月28日)は、鹿島が2対1で磐田に快勝。'96年に続き2度目の年間王者に輝いた。
 どんな競技であっても、敗者側の取材は難しい。選手の口数は当然のことながら極端に減り、減るどころか無言になってしまうことがほとんどで、ひとつひとつの言葉、質問に敏感になる。取っているメモの短さと反比例して、神経は疲労するものだ。
 しかし、そんな敗者のロッカーから出てきたDF服部年宏(25)は、少しだけようすが違った。チャンピオンシップでは左サイドに入り攻守に活躍。2戦目に限って言えば、中山雅文ら攻撃陣に作ったチャンスの多くは、ほとんどが服部のいた左サイドから展開したものだった。
 サッカーでは、チーム自体にも「利き手」がある。リーグ戦では平均3点以上と圧倒的な得点力を誇ってきた磐田は、MF名波浩、そして服部と「日本代表レフティ」のテクニックから左利きのチームと言われる。
「やっぱり悔しいね!」
 張りのある声は、あまりに重苦しかった空気に、穴をあけるかのようだった。
「もっと普通にやるべきだった。(鹿島の)ジョルジーニョがあんなに下がっていたのに、彼を警戒して意識しすぎたと思う。2点ともセットプレーから。ついてないって言えばついてないし……うーん、やっぱり悔しい」
 この日の試合には、鹿島にはMVPを獲得した秋田豊、相馬直樹、名良橋晃。磐田にも名波、中山、そして服部とフランスW杯メンバーが、じつに6人もいた。5人は予選3試合すべてに出場。しかし、アトランタ五輪でブラジルを破ったメンバーだった服部はただ1人、W杯に出場することができなかった。笑顔で「悔しい」と言い切った姿には、タイトル獲得にかけていた思いがにじむようだった。
 W杯から帰国して以来、「誰もこの話題、1試合も出られずに帰ってきたことには触れなかったんです」(服部)と言うが、あえて、話を聞かせてもらった。
 中盤のサイドバックもこなす貴重なユーティリティプレーヤーである。なかでも相手のキーマン、ゲームメーカーの徹底マークには定評がある。W杯で出場機会があるなら先制したあとの守備固め、そういう役割を任される状況においてだった。
 しかしそういう状況にはならなかった。
「とても不思議だったのは、アルゼンチン戦の前でした」
 アルゼンチンでマークに入るなら、ドリブルと素早い動きで世界的にも評価されるMFのオルデガ(現在、セリエAサンプドリア)。サブだろうが関係なく、ビデオで徹底的に分析をし、体調を整えているうちに、これまでにない手応えを感じていた。心技体、すべてが重なった「完璧な」仕上がりを実感していた。
「もしアルゼンチン戦に出たら、完璧にアルデガを封じ、最高のプレーができる手応えがありました。なぜか不思議なくらい自信があった。実際かどうか、これはわからなかったけれど」
 今出られれば……ブラジルを倒した経験でも味わえなかった密かな手応えも、結局は生かすことなく終わった。ベンチの目の前にあった白線、ピッチとベンチを分けるわずか幅数センチの線が、あれほど遠いものだと感じたこともなかったという。
 結局3試合、相手のゲームメーカーの「影」だけを追うような任務だった。
「今年は日本代表としてW杯に行くこともできたのに、試合には出られなかった。磐田でも、(前期は)勝って(チャンピオンシップは)負けた。これほど多くの経験から学んだことは、目標とか課題に終わりがないっていうこと。無駄な経験なんてひとつもないんです」
 Jリーグは全試合が終了し、7日には年間表彰式が行われる。W杯に出場した選手たちそれぞれが手にしたものは、多くが「目に見えないもの」だったはずだ。彼らがW杯について話すのをやめたのは、目に見えないものを言葉ではなく形にする難しさ、それを心底理解したからだ」
 服部は「こうなったら天皇杯を意地でも取ってやろうと思い始めた」と笑った。
 リーグ戦は終わり、天皇杯が始まった。

週刊文春・'98.12.10号より再録)

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