岡田監督が次にかなえる夢の中身


 よりによって、岡田武史・前日本代表監督からだけは、言われたくない言葉である。
 先日、W杯フランス大会の取材を依頼し、ご協力いただいた。話しも終わり、ひと息ついたとき、こんな会話になった。
「あなたもね(筆者を指す)、W杯も終わったのだから、こんな切った張ったではなくて、もっとこう、ゆったりした人生を歩めるように、五木寛之さんの『大河の一滴』でもじっくり読んでみたら?」
 さすが読書家で、同時に大変な勉強家でも知られるだけある。
 しかし、わずか4か月前、もちろんW杯で1勝もできなかった責任を取っての引責退任ではあるが、
「家族とともに過ごす、普通の生活を取り戻したい。何をやってでも家族を養っていく自信はあるし、しばらく休みたい」
 と言って代表監督を去ったばかりではないか。
 すでにこの取材の時点で、もう一度プロ監督になることを決断しているのに、プロのサッカー監督が「切った張ったではない、ゆったりとした人生」だなんて、矛盾もいいところである。
 こちらの反論に、さすがに笑い出した。
 現時点でチーム名を明記できないが、岡田氏はJリーグ、JFLのオファーの中から監督に就任することを決断している。それはシーズン終了を待って発表されることになっている。日本代表監督正式退任からはまだ4か月、崖っぷちに立った代表を率いることになったカザフスタン戦(W杯アジア予選)からでもまだ1年。めまぐるしいほどの月日の流れは、『大河の一滴』どころの騒ぎではない。

 ちょうど1年前になる。
 W杯初出場を決めたあと、本人の戸惑いとは関係なく、渦中の人に祭り上げられてしまった。目先の勝敗にこだわり、選手を選んだり切ったり、監督業によって自らの理想と遥かにかけ離れていく人生に、むしろ嫌悪感の方が強かったように見えた。
 ずいぶん知られるようになったが、中でも監督の人生観のひとつ「愛の五段階発展」については、いろいろな話を聞いた。
「自己愛、恋愛、家族愛と、自分はまあここまでは何とか来たわけです。ところが人類愛、地求愛という次のステップになると全然近づけないどころか、このごろは選手を切って、選手や家族を傷つけ、むしろ遠ざかってしまっている」
 ドイツ留学中、日曜日には家族で弁当を持って公園にピクニックに行くくらいしかレジャーはなかった。しかし、消費は少ないがゆとりある生活に、クラブスポーツがしっかりと根づいているようすに感銘を受けたという。サッカーにかかわることを決断したのも、この「クラブスポーツを根づかせることで、地求愛に貢献できるかもしれない」という純粋な気持ちからである。

 Jリーグの発展に貢献すること、これはサッカーとかかわる上で最初の目標だった。横浜Fの佐藤工業と全日空、ヴェルディの読売新聞が、たった5年でチームを離れ、クラブが消滅するような状況こそむしろ絶好のチャンスになるのかもしれない。
 取材の中でも講演でも明らかにいているが、さまざまなプランを胸に秘めているようだ。ラグビーの日本代表監督で親友の平尾誠二監督との連携や情報交換もそのひとつ。
「ぼくら2人が例えばバスケットボールを応援に行ったって構わないし、さまざまなスポーツの指導者と会い、クラブ組織の土台を作ることもできる」
 この1年、代表監督として組織、クラブ、人材など、現場での「現実」を見てきた岡田氏が、理想も同時に追うのならば、これほど強いクラブ作りはない。後先、逆にはなったが、W杯出場の次にかなえる夢の実現も、そう遠い話ではない。
 6月上旬、W杯前のエクスレバン合宿を訪れたアーセン・ベンゲル氏(元名古屋 現アーセナル監督)と心を許し合って、監督業についてじっくり語り合う機会があった。
「本当に心身とも疲労する想像以上の激務だ」と話すと、ベンゲル氏は言ったそうだ。
「だけど、それがドラッグになる。選手と味わう喜びで、そのうち中毒になる」
 4か月で激務に戻ったところを見ると、どうやらベンゲルが正しいようだ。
 とにかく切った張ったの世界に、再び戻る。

週刊文春・'98.11.26号より再録)

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