代表GK楢崎の無言の意思


 GK楢崎正剛(22=横浜F)は、泣いていた。
 頭からすっぽりフードをかぶったまま、顔を見せない。ファンにもらった黄色いガーベラだけが、小刻みに揺れている。
「PKを止めたのは、ぼくの力ではありません。サポーターのみなさんの力がぼくを後押ししてくれたんです」
 試合後のヒーローインタビューは、メインスタンドの前で行われた。しかし体は反対に、右手のサポータースタンドに向いている。質問に答えるたびに、体が自然にそちらに向いてしまう。
 7日、気温13度と冷え込んだ三ツ沢競技場で、今季最後のホームゲームが行われた。横浜Fは、後半10分に楢崎が見せたPKのファインセーブもあって、2−1で福岡を下し、9位に順位を上げた。
 しかし今季最後ではなく、チーム「最後」のゲームになる可能性が高い。
 楢崎は怒っていた。
 クラブ側がサポーターに対して回答している間も、帰らずに通路でこれをじっと聞いていた。
「一度決めたことが変えられないとは、ぼくは思わない。はっきり言って、クラブとはつかみ合いをしたいくらいです……。
 でもサッカー選手である以上、口ではなくてプレーで訴え続ける。黙ってプレーで示したいと思っています」
 そして楢崎は、こう語り、あとは言葉を飲んだ。

 フランスW杯から帰国したあとにも、これと同じ言葉を聞いたことがある。
 日本代表に選ばれたが、ダイナスティ杯(3月)の日韓戦で先発した以外、ついに出番はなかった。スイス、フランスと1か月間、練習だけの毎日をやり抜いた楢崎にフランスの話を聞いたことがある。雑談になり、何か土産は買ったか、そう聞いた。
「買った土産は何もないけれど、フランスで出られずに終わった悔しさ、向こうで得たもの、これが自分への土産です。それがぞんなものかは言葉ではなくピッチで見せますから」
 黙々と──これが身上である。しかしフランス滞在中に、この「黙々と」、の意味を、身をもって教えてくれた人がいる。
 代表チームのGKは、レギュラーの川口能活(横浜M)、そして自分よりも10も年上の小島伸幸(平塚)の3人がいた。クロアチア戦に負けた翌日、モチベーションも最低のなかでサブ組の練習試合が行われた。相手はフランスの2部チーム。相手GKがケガをし、小島は相手チームに入れられた。1人だけ、相手チームの一員になる──決して気分のいいはずはない。しかし、小島はこれを黙々とこなした。一言も不平を言わずに。
 反対のゴールを守りながら見ていた楢崎は、この小島の態度が忘れられないという。
「嫌な顔もせず本当にすごい人だな、と。結局、選手は何を言ったかではなく、何をしたか──それだけなんだな、と教えられた」
 楢崎にとっては、沈黙こそもっともストレートな意思表示である。

 トルシエ監督になって最初のエジプト戦(10月28日、長居)。フランスから2002年への第一歩を踏み出せたと思った29日朝、携帯電話でチームの消滅を聞かされた。
「今年は本当に忙しいですね。W杯に行く夢が叶ったのに、今度はチームがなくなるという。まったく天国と地獄を行ったり来たりですよね」
 奈良育英高校では、超高校級GKとして注目を集め、在郷球団を中心に数チームからオファーを受けた。自分で各クラブを歩き、練習に参加してフリューゲルスを選んだ。どことなく自分に合う雰囲気で、もっとも選手への愛情があるクラブだと思ったからだった。
 7日の試合前には知人に電話をして「チームがなくなるなんて信じられない。でも1本でも多くセーブして勝ち続けることで、クラブを説得してみせる」と口にした。日本代表GKの無言の抗議はいつまで続くのか。
 試合後、セレモニーを待つあいだ、山口素弘(29)と楢崎は目が合うと、「メソメソするなよ」と笑いながら、互いの頭をゲンコツでたたき合った。そして、抱き合って泣いた。GKとして引く手はあまたである。しかし、今のところ、頭の片隅にさえ、「移籍」の2文字はない。

週刊文春・'98.11.19号より再録)

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