呂比須が新調し額に封印したもの


 偶然というのはよくあることなのだろうか。そのとき、呂比須ワグナー(29=平塚)は、もう4か月も前の、たった1本のFKを思い出していた。
 ゆっくりとボールを置き、中盤の選手たちとコースを確認し、そうしている間にも、エジプト選手が作る「壁」の動きをじっと追う。
 トルシエ監督(43=フランス)の初戦となったエジプト戦(10月28日、長居)。後半8分でのPKに、頭に浮かんだのは、もう4か月も前の1本のFKだったという。ゴールに向かって右、30数メートルはあったろうか。
「そうです。フランスのW杯でもっとも悔しかったプレーがあのFKでしたからね。あれから最初の代表試合でそれが回ってきて、ちょっと不思議だったですねえ」
 ずいぶんと時間をかけてセットしたボールを、右足で、壁の端を狙って蹴った。エジプトのGKはこれに飛びついてクリア。強烈で、しかも正確なFKに、ベンチにいたトルシエ監督は両手を広げ、「驚いた」とばかりにオーバーアクションを見せた。
 試合後、ロッカーから出てきた呂比須は声を弾ませていた。1本のFKが、彼にとっては新しいスタートを象徴するものであったからである。
「勝つことが大きな目標でした。あのFKを蹴ることができたのも……まあ入らなかったので仕方ないんですけれど、イメージ通りでしたから」
 6月14日、トゥールーズでのアルゼンチン戦で中山と交代して入った後半。FKのチャンスをもらった。スイスのニヨンにいたときから、ペナルティエリアの外、ゴールのほぼ正面地点でのFK練習を続けており、自信を持っていた。名波、中田に「私に蹴らせてください」そう頼んだ。
 しかし、慎重になりすぎたことが仇となった。
 審判に遅延行為でイエローを取る、と注意され、焦って蹴ってしまった。ミスキック。頭の中のイメージも、続けていた練習も、すべて完璧なものだっただけに、フランスから帰国しリーグに戻ったあとも、悔やまれてならなかった。

 トルシエ監督率いる新生日本代表が、今年のアフリカチャンピオン・エジプトを1対0で下して、文字通り「2002年へのスタート」を切った。6月26日のジャマイカ戦(リヨン)以来の代表ユニホームを着た選手たちには、厳しさに、どこか風格が備わった。
 選手1人1人、1つのプレーに、自分にしかわからないこだわりがあり、それに決着を付けようとする選手もいれば、吹っ切ることで前進しようとする選手もいる。
 呂比須には、もうひとつこだわっているものがあった。こちらは代表の新しい一歩のために“新調”することで、心機一転をはかった。
「海パン」である。
 ことあるごとに「この海水パンツは縁起もので、一番大事なお守り」と話してきたが、それを新しいものに替えた、と先日教えてくれた。
 サッカーパンツの下に、必ず海水パンツをはく。'94年のクリスマス、昨年11月に亡くなった母ルジアさんがプレゼントしてくれたもので、15ドルだった。この海水パンツをはかない1試合に限って骨折をした。お守り以上の存在だから、代表チームの用具担当者にも、たかが海水パンツ1枚にひどく神経を使ってもらった、と苦笑いする。
 連絡ミスからホテルに忘れ、もう大パニック。用具担当者が往復タクシーを飛ばして海パン1枚を運んできたこともある。
「お母さんのお守りだからね。フランスまで約4年間、200試合は一緒に戦ったね。でもねじつを言うと、もう何色のパンツだったかもわからないんです。色が落ちて……」
 この間、日本人になり、日本代表になり、夢のW杯出場を果たし、しかし母を失った。
 フランスから戻って、200試合を戦ったこの海パンとのさまざまな思いを断ち切ることにした。2度とはかない」と、額に入れてしまった。
 今、何枚か試してみている、もっとも縁起のいい、母親と同じくらい頼りになるものをはこうと。
 選手本人にしかわからない些細なこだわりや思い入れ、本人だけが知っている悔しさや無念さ──。3戦全敗からリスタートを切ったフランスW杯代表16人は、何を胸に秘めていたのだろうか。

週刊文春・'98.11.12号より再録)

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