ペルージャ発 中田英寿「死んでも倒れない」


 パルマ戦の後半28分、中田英寿(21=ペルージャ)は相手ゴール前へ中央突破に出た。DFはピッタリとサンドイッチするような形で、突進を阻止しようとする。シャツと、パンツまでつかまれたが、倒れない。雨にぬかるむピッチに足を取られても踏みこたえた。
 なす術を失ったDFは我慢比べに負けて、足を引っかけイエローカードを取られる。
 開幕からわずかに6試合。しかし、一体もう何人の選手が、同じように彼をファールで倒し、警告を受けているだろうか。パルマ戦で見たワンシーンは、世界一激しいリーグで、1人の日本人選手がどう生き抜こうとしているのか、それをもっとも率直に示すものだった。
 中田は絶対に倒れない。死んでも倒れないと言う強い意志が、困難なチャレンジを支えている。 小高い丘に四方を囲まれたグラウンドで、中田はイタリア語で冗談を言い笑っていた。
 丘の中腹には、白壁とレンガ造りの街並みが広がり、昼時には教会の鐘が鳴り響く。

 世界最高峰と言われるセリエAでプレーするためには、「何が」必要だと思うか、聞きたかった。
「どこの国の、どこのリーグでプレーしていたって変わらない。自分のプレーを変えないという信念を持つこと」
 クラブハウスを引き上げる仲間が、ふざけてクラクションを鳴らし、窓から次々と声をかけていく。
 日本でも、試合中倒れて時間稼ぎをするような行為は一切しなかった。嫌いだから。セリエに来てから、こうした考えは、さらに強い意志となってプレーに現れている。
 転ばない、痛がらない、そして怖がらない。
「こちらに来てつくづく思ったのは、サッカー選手が倒れるのは恥ずかしいということでした。時間を考え、状況を考え、すぐに立たなくてはいけない。倒れて時間稼ぎなど、まったくキレイではない」

 エジプト戦出場を控えた25日までの1週間、チームには大きな変化が訪れた。
 これまで中心選手としてチームをまとめてきたベテラン、トバリエリが解雇され、エース10晩を背負っていたベルナルディーニが交換トレードによって移籍した。
 '78年、'79年シーズンにはペルージャを2位にまで導き、今年また、セリエBから引き上げたカスタニエール監督は、どう考えるのか。
「ナカタがユーベの(開幕戦)2得点で評価されたのは確かだ。しかし私と選手たちが彼を認めた理由は、あのプレースタイルにある。彼は強い。あの姿勢こそ、こんなに早く認められた一番の理由だと思う」
 決して恵まれた体格ではない。しかし彼は、倒れない、というシンプルな意志の力によって、プライドを表現し、偏見や差別を驚くほどのスピードではね返している。エースが抜けた日、監督は今後中田にPKを蹴らせる、と明言した。チームのレベルは本人にとって決して満足のいくものではない。しかし同時に、それを承知で、さまざまな環境と戦い、セリエAに定着するチームをリードする。この極めて困難な仕事こそが、中田に課せられたものだ。それができなければ、強豪チームへの移籍など望めはしない。

 25日のパルマ戦にはD.バッジオがいた。ポーランドのクラブとの対戦中、投げ込まれたナイフを頭に受けてケガをし、ファンが同情していた。
 しかしペルージャのファンは、バッジオが自分たちの選手への反則をしようものなら、「ナイフ、頭に差してろ」と容赦ない野次を飛ばす。
 試合後は、「イラーリオ、イラーリオ!」とカスタニエル監督の名前を大合唱し、シュートを2度外したFWメッリがスタンド前を通過すると「お前はクビだ」と連呼する。
 シュートを外せばスタンドのイスを叩き割って悔しがり、連勝に涙するファン。ロスタイム「6分」とパルマに有利に表示した審判に食ってかかる選手、監督。その監督解雇の多さから「監督を食べる怪物」の異名を持つオーナー。東洋人への偏見、柔らかく扱いにくいピッチ、もうすぐ始まる厳しい冬……。
 しかし中田は、ここで生きていく。
 日本滞在わずか3泊4日で、再びこの街に戻ってくる。

週刊文春・'98.11.5号より再録)

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