平野孝、再スタートの因縁


「正調フランス流」を知る平野孝(24=名古屋)にしてみれば、これはほんの序章のようなものである。
「500ページの教本があるなら、今回はまあ4ページってところでしょう。残り496ページで、まずは終了じゃないかな」
 トルシエ代表監督が初めて発表した日本代表35人が、4日から福島でトレーニングキャンプを行い、評判通りの厳しさを披露した。4日間の練習のうち4回は非公開。しかし、「のぞき見」の結果、朝食抜き、ウォームアップ抜きの、これまでの4年を思えば「掟破り」ともいえる午前練習。ミスしたFW柳沢敦(21=鹿島)にボールをゴツン、とぶつけるわ、攻撃の練習でうまくいかないグループに「代表Bめ!」と怒鳴るわ──。読者のみなさんからは「マスコミは厳しさばかり強調しているのでは」とご指摘を受けるかもしれないが、これが偽りのない「そのまま」の状態だ。

 しかし、平野は落ち着いていた。同じフランス人で、トルシエの人選にもアドバイスをしたというアーセン・ベンゲル監督(現在イングランドのプレミアリーグ、アーセナル監督)に指導を受けていたからだろう。
 合宿の最初、ベンゲルが初めて名古屋に来たころのことを、何となく思い出したという。
 ひとつだけ、ベンゲルの支持や、やり方とまったく同じ練習があった。体のほうが先にそれを思い出した。ポジショニンブ、である。
「フランス流というのか、ベンゲルも当初はなかなかボールに触らせないんだよね。それで繰り返すのは、ボールを持たないプレーヤーの動き方を徹底させること。しつこいくらいやったんだね。だから今年も、あああれだ、と思い出したんです」

 ベンゲルが就任した'95年、名古屋の選手はボールをいかに動かすかではなく、ボールにいかに合わせるか、そういうサッカーへの考えを植えつけられた。確かに今回、選手が怒られていたのは、すべてボールのないところでのプレーである。基本であるが、改めて指摘されればやはり今まで雑だった感は否めない。
 DFでも同じことだった。合宿中繰り返されたパス回しでも、最終ラインがボールを蹴ったあと、動かずにチンタラしていようものなら、
「立っててどうする」
 と、ラインを上げるように指示が飛ぶ。
 平野も「ああいう練習は、選手が基本的に持っているイメージとかプランの強化を図るものなんだね。ボールを持っていない動きが問われるから、単調に見えて、じつは複雑で選手の違いが出るものなんだ」

 フランス人指導者にプロとしての土台をたたき込まれ、代表として初めてW杯でフランスに行き、またもフランス人の指導者で2002年へのスタートを切る。不思議なめぐり合わせである。今回の“規律合宿”を、サッカーの原点と緊張感という初心を思い出させてくれるものだから、まだ4ページ目と位置づける。
 岡田武史前監督の日本代表では、左足の強烈なシュートを武器にしてアルゼンチン戦びピッチに立った。わずか9分。アルゼンチンの俊足サイド、サムネッティにマークされ、まるで蛇ににらまれた蛙のように、結局一度も、思い切った攻撃に上がることはできなかった。そんな自分を“腰抜け”と吐き捨てる。
「あのときの悔しさ、むなしさは絶対に忘れちゃいけない、忘れたくない。過去は忘れて、なんていうのはよくないと思っている」

 しかし、フランス流を汲む平野にも、ひとつだけ読めないことがある。
 トルシエ監督が、バイキング形式で食事をとる平野の皿をのぞきに来た。ウインナーを指さして怪訝な顔をする。
「お前はどうしてもこれが食べたいか? 自分の部屋で食べたいか」
 どうやら監督は、ウインナー、ソーセージの類がお嫌いらしい。平野は考えた。
「たぶん、食べるなという意味じゃなくて、自分が嫌いなんだね。だから、自分の見えないところで食べろってことじゃないか」
 読みが正しいかどうか。
 新監督の一挙手一投足に神経を使う選手には、ウインナー1本の扱いにも慎重を要するのかもしれない。

週刊文春・'98.10.22号より再録)

BEFORE
HOME