川口能活、マリオ去っても「ダイジョウブ!」


 来る人がいれば、去る人もいる。「自分の番が来た、ということだと思います。動揺なんてありません。彼に教わったことのひとつひとつは、魂に、体に、体に染み付いていますから」
 9月26日、福岡を退けて3年2か月ぶりにJりーぐの首位に立った横浜M・川口能活(23)は、腕組みをしながらそう言った。
 彼──GKコーチ、ジョゼ・マリオ氏(45=ブラジル)のことである。昨年のアジア最終予選では、監督より先に飛び出し「退席」処分になったこともある。選手への罵声に耐えかねて、サポーターを」怒鳴り飛ばして選手をかばったこともある。そんな、もっとも熱いスタッフだった。

 トルシエ監督(43=フランス)の下、新生日本代表がスタートを切り、これまで日本代表のために力を尽くしてきたスタッフの何人かも替わることになった。マリオもトップチームのコーチには任命されなかった1人である。欧州流とブラジル流では、GKの扱いに相違点がある。
 フランスW杯を目指して、川口、楢崎正剛(22=横浜F)、ベテラン小島伸幸(32=平塚)3人のGKを鍛え上げたマリオと、彼らの結びつきは、他の選手とコーチ以上に濃厚なものだった。とにかく圧倒的に、一緒にいる時間、つまりは練習時間が長かったからである。

■五輪予選以来の戦友

 マリオが初めて来日したのは'95年。加茂周・元代表監督が始動したときだった。
「日本協会のみなさんに空港に出迎えてもらい、空港からの車中で、ぜひ日本のキーパーを世界に通用するレベルに育ててください、と言われました」
 懐かしそうに話すが、そのときは不安の方が大きかったという。日本にはまだGKコーチという仕事が定着していない、まして、わずか7月の予定という契約期間で変化をもたらすのは難しいとも感じた。しかし、心配はすぐに必要なくなった。契約は毎回延長され、今年6月まで結局4年近くに及んだ。GKコーチの存在も浸透し、選手の力もマリオの予想をはるかに上回る勢いで上昇した。
 なかでも川口とはアトランタ五輪予選から強力なタッグを組んできたいわば戦友である。
 五輪の前後には、自身の計算でも1日、500から600本のシュートを打ってキャッチングの練習を徹底させた。マリオ式の真骨頂は、“リピート練習”である。体に正しい方法が染み付いてしまうまで繰り返し、神経に組み込んでしまう。
「ヨシカツとは苦しみも悲しみも、代表という厳しくも最高の舞台で分かち合えた。試合中でさえ、私たちはお互いが何を考えているのかを察し合える状態だった」

 川口には、まずは口笛で合図し、“問題が起きている、修正せよ”と伝える。フランスでも初戦のアルゼンチン戦では、そんな「ブロックサイン」が飛び交う場面があった。
 1日500本も蹴っていれば、足もおかしくなるはずだ。しかし、マリオ自身がそれのことを口にしたことは一度もない。フランスでは、小島、楢崎のモチベーションを下げないためにも、川口と同様のメニューを課し、それだけ負担も大きかった。足の甲の皮膚が炎症を起こし、腫れた。3人には知らせなかった。不安を口にするのは彼のポリシーに反するからだ。
「アルゼンチン戦のピッチにヨシカツを立たせたとき、まるでビロードの布で大切にくるんだ人形を出す、そんな気持ちだった。ビロードで包むように不安や苛立ちを除き、その美しく堂々とした姿で相手を圧倒しなくてはならないからね」
 マリオは、代表の話になると涙ぐむことが多かった。

 しかし、マリオも川口も「タッグ解消」には冷静である。その冷静さが、絆の強さを示しているのかもしれない。
「たとえ誰がコーチになっても、ヨシカツも、ほかのどのキーパーも大丈夫です」
「大丈夫」は、ポルトガル語以外で彼がもっとも多く使った単語だった。ピンチになると必ず「ダイジョウブ」と大きな手をたたいて叱咤した。
「3年間彼に教わったことは簡単に忘れるようなものではないんです。それに……」
 川口は笑顔を見せた。
「これからが本当の恩返しになるんですから」

週刊文春・'98.10.8号より再録)

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