トルシエ新監督の新しい“味”


「空港でまっすぐ歩けたなんて、これには大感激で……」
 タイトル通り2002年のW杯に向けてスタートする日本代表の新監督・フィリップ・トルシエ氏(43=フランス)が、成田からの車中でもらした来日第一声は、拍子抜けするようなコメントだった。
 8月27日、同氏が契約交渉にやって来るとあって、成田空港の到着ロビーには特別警備も敷かれる状態。テレビカメラに追いかけられ、フラッシュがたかれ、ついて歩く人たちに取り囲まれる混乱だったが、ご本人にはいたって快適だったようだ。
 トルシエ、という名前を聞いたときにわかっていたことは、フランス大会で、南アフリカの監督(予選リーグ2分け1敗)として母国と戦ったこと、過去ナイジェリアの監督だったこと、その2つだけである。

 まずは、手当たり次第に過去の新聞記事を出してみた。
 こんなインタビュー記事がある。
「ナイジェリアに到着して飛行機のタラップを降りた瞬間、協会関係者が挨拶もそこそこに25人の選手リストを手渡してきた。これは? と聞き返すと、代表メンバーだ、と言われ頭を抱え、ロビーに入ると、誰を代表に選ぶのか、と5分前に着いた私に、メディアが殺到した」
 このときはもちろん、まっすぐ歩くことはできなかったに違いない。
 31日に行われた会見では「日本にはハートがあり、能力も組織も、そして……」
 トルシエ氏は力を込めた。
「規律がある」
 この規律こそ、同氏を知る最大のカギになりそうだ。

 コートジボアールとの二重国籍を持ち、同国のクラブチームから代表チーム、モロッコ、ナイジェリア、ブルキナファソ、そして南アフリカと、10年にもわたってアフリカ大陸でのキャリアだけを積んできている。
 アフリカではメディアに「歩く規律」とか「ミスター規律」などと呼ばれていたという。規則をめぐる選手との対立、あまり多くを語らなかったために生じたというメディアとの対立、アフリカでの10年のキャリアは。決して成功だけではない。
 W杯中には、「電話が鳴らないことなど1分たりともなかった。誰を代表として使え、誰を代表から落とせ……だいたいW杯は戦いだというのに、選手はここに観光で来ている」と監督が話すなど、内部対立も盛んだった。

 日本サッカー協会は、(1)国際経験豊かで、(2)若手を育てたことがあり、(3)日本をよく理解している人、という条件を挙げて人選を行ってきた。
 最初の元名古屋グランパスのベンゲル監督に監督就任の要請をしたが、現在のクラブとの契約があって現時点では無理と断念。次に候補にあがったのが、ベンゲルも推奨したというトルシエ氏である。その時点で、同氏には少なくとも2か国の代表監督のオファーがあり、母国では代表のアシスタントコーチとして入閣するという話も持ちかけられている矢先だった。
 会見では代表に関する仕事すべてを「ミッション」と表現した。特殊任務、使命などを示す戦闘用語を使用するあたりにも「規律」がにじむ。
 こんな記事もあった。
「わたしはかねがね、監督は一流シェフだと自認してきた。伝統と挑戦というスパイスで、新しい味を作り上げるのだから」

 コートジボアールとの二重国籍を持ったフランス人が、10年かけて築いたアフリカサッカーの味を、今度はアジアの、しかも5年間でオランダ人(オフト氏)、ブラジル人(ファルカン氏)、日本人監督とやってきた日本代表に、ミックスさせようとすると、これはもう正体不明のエスニック料理のようで、味見にはかなり勇気がいる。
 しかし、アフリカで10年を過ごした監督にとって、この「食わず嫌い」こそ敵である。日本滞在中には、早くも月曜日から日曜日まで漢字で書いた即席の日程表を作った。
 遅刻で監督から締め出されたという南ア選手の話は参考になる。
「監督とうまくやろうと思ったら、1分の遅刻も許されない。まずは時計の針を10分進めておくこと」
 日本の候補選手のみなさん、念のため。

週刊文春・'98.9.10号より再録)

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