北澤ノート「封印」の解ける日


 どしゃぶりでも、ピッチの状態は最悪でも、うれしかった。自分がここでサッカーをやろうと、キックオフを待っていることが、当たり前でもあり、同時に不思議な気分でもあった。
「負けたし、みなさん(記者)の前じゃあ気恥ずかしくて言えなかったけれど、実際はうれしかった。胸が一杯になった」
 7月25日(柏戦、1−3)、梅雨の残り雨が噴出したような、どしゃぶりの中で、MF北澤豪(29=川崎)が、5月9日の鹿島戦以来となる公式戦に出場した。
 試合後、北澤としばらく立ち話をした。会ったのは、6月1日、スイス・ニヨンで行われた日本代表の練習試合以来である。
「オレはサッカーを辞めてはいなかったんだってね。不思議な気もした」

 6月2日にW杯代表22人枠から外され、三浦和良(31=川崎)と一緒にミラノから帰国したことなど過去のことに過ぎない。気持ちを切り替えて優勝を狙う、終わったことなど気にしていないし、あの日のことも自分の中では完全に吹っ切って2002年を目指しているのだと、表面上はそういうことになっている。
 そういうことになっているが、そんなに見事に気持ちを切り替えることができるのだろうか。
「そう言う以外どうしようもなかった、それが本音。きょうまで本当に長かった。吹っ切れてなんていないし、むしろ、オレは吹っ切らないよ、って口に出して言っている」
 笑顔に、どん底から這い上がった自信と、プライドがにじんでいる。

「代表」という名の特急列車は、猛烈なスピードで5月11日に御殿場からスイスのニヨン、エクスレバンを駆け抜けていった。途中で誰かが降りても、列車を止めてじっくり見送ったりすることはできなかったし、後ろを振り向いて悠長に手を振っている時間はなかった。
 ただし、列車のスピードは加速されたのに対し、降ろされたほうの時間は、その瞬間から、残酷なくらいゆっくりと刻まれていた。

 6月7日、2人をクラブハウスで迎えた川崎のニカノール監督は振り返る。
「オカダなんて名前、もう忘れてしまえ! 言ったら罰金だ」と笑ってジョークを飛ばし、話し込んだという。
「2人の落胆ぶりを見て、彼らが経験と真の誇りを持ったプロフェッショナルであってよかった、と心底思った。そうでなければ……」
 監督は言葉を飲んだ。
 休んでいい、という監督のアドバイスを胸に仕舞い、北澤はカズよりも一足早く、福井でのチーム合宿に合流した。さまざまな思いをとりあえずそこで「封印」した。
 もうひとつ封印したものがあった。
「北澤ノート」である。

 昨年10月のアジア最終予選の中央アジアシリーズでは、監督の更迭、相次ぐドロー、とW杯出場が消えかけていた。北澤は、もう後がない、という最悪の状態にいたチームに呼び戻されている。その際、一刻も早く馴染むように、と、パスの受け渡しをする中盤の山口素弘(横浜F)、中田英寿(ペルージャ)の癖や好みをビデオテープで分析し、それをノートにまとめた。
 新人の小野伸二(浦和)が加入した3月には、小野のテープをもらって、いわば「予習」を続けた。
 もちろん、御殿場にもニヨンにもノートを持参し、自らの状態、チームのコンディションなどを書きとめていた。知人が、そのまま出版できる、というほど緻密なものだ。しかし6月1日以降、一度も開かなかった。
「あまりに衝撃が大きくて、とてもそういう気分にはならなかった。第一、代表にはもう関係ないんだ、とね。でも、何が起きたのか、どうやってあそこから這い上がってきたのか、もう一度、書こうかな、と考え始めている」

 プロは、簡単に悔しさを吹っ切ったりなどしない。どんな手段を使っても忘れない。その執念こそ、プライドというのかもしれない。
 岡田武史・代表監督(41)の契約は7月31日に切れる。しかし、北澤のW杯はおそらく永遠に、片がつくことはないだろう。
 話が終わると、北澤がふと右手を出した。指が痛いほど、力強い握手だった。

週刊文春・'98.8.6号より再録)

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