名波浩がW杯を語り始める日


 バスに乗り込みかけたところを呼び止めると、名波浩(25=磐田)はバスのステップを一段降りてくれた。
 19日、市原を破ってナビスコ杯(国立競技場)初優勝を果たし、祝賀会に向かうところだった。
──W杯のこと、話したくないって取材を全部断っているって?
──そう、本当。
 名波は冗談めかして笑った。
──いくら説明しても(マスコミに)きちんとわかって書いてもらえるとは限らないから。

 日本代表がフランスから帰国して早くも1か月が経とうとしている。
 中断していたカップ戦も終了し、この25日からはJリーグも再開する。しかし、代表の「10番」は、W杯での体験を自ら語ることを一切拒んでいるという。殺到する取材に対しても、W杯以外の話なら、と返答している。取材する側にしてみれば「困った」と、腕組みするばかりの状態である。一体どうしたというのだろう。
 ナビスコ杯準決勝、市原対鹿島戦のために来日したジーコ(ブラジル、鹿島テクニカルディレクター)が、こんな話をしていた。
「日本代表の中盤は、いかにボールを扱うかという課題を忠実にこなしていたと思う。3敗はしたが、問題点のわかる敗戦だったことを評価しなくてはならない」

 ジーコの言う中盤の仕事を評価するひとつの指標として、ボール支配率がある。ボールなどいくら支配しても点は取れないし、逆に支配していなくとも点は取れる──そういう言い方もある。しかし日本のようなチームが支配率からして圧倒的に低いようでは、これは話にならない。
 FIFA(国際サッカー連盟)の公式記録によれば3試合のボール支配時間は、初戦はアルゼンチン37分に対して日本34分、第2戦では、クロアチア33分を大きく上回って40分、最終戦はジャマイカの32分に対して30分だった。
 カギ、といわれた名波、山口基弘(横浜F)、中田英寿(平塚)は、それぞれの役割を、多くの約束事の中で忠実に果たそうとしていたことを示す数字である。

 中田の世界的な評価を知ろうとする声よりもはるかに控えめではあったが、フランスのサッカー専門誌が、日本の予選3試合のうち2試合について、名波に「4」(満点5)の高評価をつけている。
「自分個人の力がどうのこうのというのではなくて、日本がチームとしてどこまで戦えるかだった。やろうとしていたことはある程度こなせたし、試合を楽しむこともできたと思う」
 合宿地となったエクスレバンを発つ前、名波は言葉を選んでこう説明していた。それが話せる最後のラインだったのかもしれない。チーム戦術という概念のなか、ある意味では自我を殺し、そのうえで楽しむという境地にまで達する270分の壮絶な戦い。

「自分にとってW杯は3試合だけじゃあない。予選からずっと、いろいろ乗り越えてここにたどりついた。疲労は体にだけあるわけじゃない」
 名波はそう言った。
「それで結局、W杯ってどうだったの?」
 こんな質問に答えは見つかるはずはないのだろう。選手にとって、「体験」していない者に簡単に話せるようなものではない。心の整理をして誠実に答えようとすればするほど、難しくなるはずだ。
 名波が守る重い沈黙はじつのところ、日本代表が初めて経験したW杯の衝撃を、もっとも真摯に、もっとも雄弁に語っているのではないか。
 雄弁に語っているように思えた川口能活(22=横浜M)さえ、G大阪との練習試合後、実際にはこう言って苦笑していた。
「話していても、それが本当に自分の気持ちで話しているのかわからない。何か変な感覚です。まだ時間がかかると思います」

 国立競技場での別れ際、バスの中から、名波の声だけが聞こえてきた。
──でも、話せるときが来ると思う。
──いつ頃になりそう?
 大声で聞き返した。
──そう、きっかけができれば全部話せる。だから、もうちょっと……。
 その日、を気長に待つことにする。

週刊文春・'98.7.30号より再録)

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