中西が感じた“体の執念”の壁


 私の汚い取材ノートには、こう書いてある。

[6月17日午後練習、エクスレバン晴れ、気温32度。
 中西=体重、突然減りだした。理由がわからない。アルゼンチン戦後からベストより2キロも減ったまま、元に戻らない。疲労はあまり感じてないし、食欲がないわけじゃない。なんででしょうか。これまでにない経験]

「身体能力では世界とは大きな差があり、互角にやることはできない。それを補うサッカーをするしかない」
 岡田武史監督(41)は、昨年12月にH組の対戦国が決定して以来、そう言い続けていた。身体能力をカバーする「組織のサッカー」が、日本の最大のテーマだった。
 H組の試合出場DFのうち、身長174センチと、一番小柄だった中西永輔(25=市原)が、190センチもの相手FWを止める姿は、ある意味で、日本人の身体能力の不利を、もっともわかりやすく示していた場面だった。

「アルゼンチンもクロアチアも、マークしていて、これは変な感触なんですけど、首が太いな、って感じるんです。スピードで勝った、と思った瞬間、体がバーンと跳ね飛ばされてボールを持って行かれる。ああいう強さは、これまで経験したことがありませんでした」
 中西は、市原の合宿地、道東の網走でそう振り返った。
 テレビでW杯を観るのは不思議な感覚でどうも落ち着かない、と苦笑する。帰国して2週間、頭の中を少しずつ経理し始めている。

 自分よりも大きい選手と戦うことは慣れているし、体格の差を言い訳にすることなど一切してこなかった。しかしW杯は違った。これまで感じたことのない、「身体能力の差」を、2試合(3試合目は出場停止)でまざまざと見せ付けられることになった。
 冒頭に記したメモは、クロアチア戦の前に聞いた話である。
 相手へのマークが少しでもずれれば、組織のサッカーどころではない。中西をはじめDF陣は、肉体的には90分フルに相手マークに集中しなければならなかったし、同時に厳しい心理戦を強いられることにもなった。結果、体は本人さえ気づかなぬうちに「消耗」していったようだ。

 選手にとってベスト体重の維持は、調整のバロメータとなるもの。トップ選手は、体重減少を、体重増よりもはるかに嫌う。
「一番強烈だったのは、やはりスーケル(クロアチア=身長183センチ)をマークしたことです。それこそ息遣いまでずっと注意していました。暑かったし、とにかくバテさせよう、イライラさせようと」
 試合当日の気温は35度。狙いは的中した、はずだった。中西は、スーケルの体を自由にすることなく前半を乗り切り、後半早々、スーケルはあまりの「しつこさ」に耐えかね、肋骨に強烈な肘鉄を入れてきた。起きあがれないほどの痛みの中でさえ、中西は「しめた」、そう思ったという。

 しかし本当の勝負はその後だった。
 後半32分、イラ立ち、暑さに肩で息をしていたはずのスーケルに、得点された。
 第三者は、さして実体もないのに「世界の壁」と表現する。174センチの中西が感じた「壁」とは何だったのだろうか。
「ひと言で表現するなら“執念”でした。勝ちたい、と誰もが思う。しかし執念の種類が違った。スーケルが見せたのは、気持ちだけではなくて、体の執念でもありました。得点されたとき、この壁は高い、と、そういう限界を見た気がしました」

 スポーツでは能力の限界などない、と考えることもできるはずだ。しかし一方では、限界点を知ることこそ、前進の条件だとも言える。体重の減少は、限界点を知ることの意味を、身をもって中西に教えたのかもしれない。
 ちなみに、スーケルは、体重3.8キロを減らした日本戦後、「日本はしつこいサッカーで、ああいうのは大嫌い」と言った。
 15日からナビスコ杯が再開する。凄まじい戦いの中で何を失い、何を得たか、代表はそれを、言葉でではなく、プレーで見せるだろう。
 中西の体重は、75キロから2.5キロ落ちたまま、まだ戻ってはいない。

週刊文春・'98.7.23号より再録)

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