ゴンがW杯で見つけた“捜し物”


 捜し物は、何だったのだろうか。ずっと、それが気になっていた。
「ああ、あれはですね…」
 両手首で支えるフランスの杖は、骨折と診断したリヨンの市立病院からもらってきたものだ。6月27日、エクスレバンのホテルを出発する頃、ロビーは、ファンと報道陣でごった返していた。出発間際、サインを求められるたびに、中山雅史(30=磐田)は右手の杖をいったん左に持ち替え、ひどく不安定な姿勢で書かなくてはならなかった。
 脇で支える日本の松葉杖の方が、使いやすいのではないか、そんな話しをしながら聞いた。
「確かに、こういう時には日本の杖の方が使いやすいか」
 中山は、手は休めず笑いながら答えた。
「コンタクトレンズ? いや、目はいいですから。捜していたのは……小石でした」
 ジャマイカ戦(6月26日)前日のリヨン・ジェルランスタジアムでの公式練習後のことである。
 1人、丁寧に芝の間をかき分け捜し物をしていた姿に、カメラマンが、「中山はコンタクトレンズか何か、落としてしまったんじゃないだろうか」と教えてくれた。
「頼まれたんです。実家で。フランスには行けないけれど、あなたがワールドカップに行ってピッチに立ったという証になるものを、どんなものでもいいから、持って帰って欲しい、と」
 最初は芝を抜こうと考えたらしい。しかし、芝は枯れる。そこで考えた。石なら、ピッチにもあるかもしれない。初めて、芝の根の方まで掻き分けてみた。小石が散らばっている。「芝の下の土のところには、石もあるんですね。初めて知りましたよ」
 この大会、中山と芝の話はもうひとつある。
 フランスでは、日本でいつも履いていた「固定式のスパイク」ではなく、「取り替え式」を履いた。
 日本では特にMFやFWといった「技」のポジションでは、よほど雨でぬかるんでいない限り、比較的軽く、靴底の突起物の数の多い、つまりボールに接する面積が多く扱いやすい固定式を履く。 
 日本で芝のグラウンドが一般的になったのは、せいぜいここ十年の話だ。土のグラウンドだと、多少重く、スパイクのピンが少ない取り替え式では、泥や土が目詰まりし、たとえDFであろうと履きこなすのは容易なことではない。
 欧州、南米の選手は、ポジション、天候にかかわらず、芝の状態に合わせて取り替えを履く。
 91年に来日したばかりのジーコ(現・ブラジル代表テクニカルディレクター)が、固定を履いていた鹿島のDF陣に対し、「固定で、もし滑ってミスをしたらどうするんだ。あしたから取り替えを履け」と怒った話は有名だ。
 中山は、あえて取り替えを履いた理由について、アルゼンチン戦(6月14日)の翌日、こんな話をしてくれた。
「前日の練習では、パスが速く動かせる反面、芝も非常に滑り、やりにくいと感じていました。前日練習では固定でしたから、直前のアップも同じ。ところが、試合直前、ピッチに上がった瞬間、なぜか最初にバティの足元に目がいったんです」
 エースFWのバティストゥータは、あれだけの動きと技を駆使するにもかかわらず、取り替えを履いていた。中山はロッカーにすぐに戻り、履き替えた。
 個人の体験は、日本の現状のある側面を象徴したのかもしれない。日本と世界の間には、決定的な違いがあった。大げさに言えば、容易に追いつくことのできない重い歴史であり、簡単に言えばゲームを制するための知恵、あるいは「たくらみ」である。
 中山が、選手それぞれが、何より日本サッカー界が、フランスのピッチで見つけねばならなかった捜し物は、それだった。
 中山自身にとっての「小石」は見つかったようだ。
「悔しさ、決められなかったゴール。いつか、この負けが自分と、サッカー界の財産になったのだ、と言える日まで、このまま引き下がるわけにはいかない」
 骨折はやがて治る。杖も必要なくなる。
 しかし、W杯初ゴールを決めたリヨンから彼を支えた、あの使いづらい杖を、中山はきっと捨てないだろう。

週刊文春・'98.7.16号より再録)

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