アテネ五輪期間中連載コラム

「現実と非現実が混じり合った泣き笑いの3週間」」


アテネ五輪
第18日
 通い慣れた地下鉄の改札を駆け抜け、シンタグマ広場に上がると、カフェに溢れる笑顔も、いつも昼寝している犬もいない。代わりに警官たちがバリケードを張り、両手で私を制止する。道路を見ると、数千人の誰もが、オリンピックの間中、見ることがなかった、そう、忘れかけていた怒りと悲しみの顔で、パウエル米国務長官の閉会式出席に抗議デモをしている。

「何て書いてありますか」とギリシャ語の垂れ幕を読んでもらう。
「イラクでは今日も罪なき武器なき市民が殺されている」。アメリカ人なのか、抗議デモに抗議し、小競り合いに警官が間に飛び込む。罵声と悲鳴の交差点で、オリンピックの夢から瞬く間に覚めて、ふと、思う。イラクのサッカー選手たちが拍手喝さいを浴びたサッカー会場は果たして現実なのか、それとも非現実か。閉会式の前の晩、まるで午前零時を過ぎてしまったおとぎ話のような風景に、馬車やガラスの靴は、これからどこに行くのだと考えていた。

 故郷に戻った五輪は、史上最大、最長の日程に膨れ上がり、開催国のスターを含めまたも薬物失格者が連日カウントされ、金まみれのIOCは、おとり取材に見事に引っ掛かり尻尾を出す。クーベルタン男爵、108年も世界を回り、変わり果てた五輪に、きっと記念碑の裏側で嘆いているんじゃないだろうか。

 しかし、復帰したアフガニスタンから、初の女性が堂々と胸を張って行進し、男爵が「死ぬまで認めない」と言ったはずの女性参加も史上最多、野口みずきはマラトンの兵士さえ脱帽する、史上もっとも過酷なレースを制した強さと美の象徴だろうか。
 現実と非現実が入り混じった3週間について答えを出したいのだが、難しい。見知らぬ国の見知らぬ人とスポーツに胸を揺さぶられ、笑い、一緒に泣く。4年に一度やってくる至福に選手も、世界中の人々も酔いしれる。仕方ないのでまた4年、長いけれど答えを考えてみようと思う。

 3週間世話になったホテルを朝出るとき、経営するファミリー一同が見送ってくれた。
「五輪は見に行けなかったけれど、僕ら家族にはあなたがオリンピックだった。ありがとう!」
 楽しかった、本当に楽しかった。あなた方とアテネに、心からお礼を言いたかったのに、ごめんなさい、涙で言葉にならなくて。

(東京中日スポーツ・2004.8.30より再録)

※五輪開催期間中の金曜日は連載コラム「セブンアイ」として掲載されています。
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