自転車デビューは戦う肺づくり

    清水宏保 持病のぜんそく克服へ新たな試練


弱点が最大の強さに

「ご父兄は、あちらでーす」と、元気な声で案内されて思わず噴き出したが、よく考えれば、それも不思議な年齢ではない。
 気を取り直して受付に立った時、最後に校門をくぐったのはいつだったのだろう、と思った。
 先週、都内にある女子校の学園祭に招待していただいた。
 校長室に迎えて下さったが、出来の悪かった生徒にとって、教員室は常にしかられる場所である。今も、「怒られそうな」条件反射を起こす自分が、おかしかった。彼女たちの笑顔を見ているうちに、友達のことが頭に浮かんだ。
「体育も部活も、いつでもすごく楽しそうでうらやましいな。私も一度、思い切り体を動かしてみたい」
 体の弱かったクラスメートに、そう言われたことがある。あのころの私は、学校に行っていたのか、体育館に通っていたのかわからないくらい、スポーツに熱中していた。
 ぜんそくだったか、とにかく体が弱く、激しい運動はできないと言っていたと記憶している。彼女は、体育の時間になると、制服姿でグラウンドの片隅にあるいすに座っていた。
 以来、ぜんそく、とか、病弱だった、と聞くと、「うらやましい」と言った彼女の笑顔を思い出し、胸のどこかがチクリと痛んだ。
 しかし、彼を取材してから、病弱だった、と聞くと、正反対の強さをイメージするようになった。
 25日、長野五輪スピードスケート500メートルの金メダリスト、清水宏保(NEC)が、全日本実業団で、自転車にデビューをした。短い練習期間にもかかわらず、前評判通り、高い潜在能力を示したようだ。
 清水は子供のころ、ぜんそくの発作を抱える病弱な子供だったという。正確には、子供のころ、ではなく、現在もぜんそくは持病である。
 取材で会った際、呼吸器を携帯していたことがある。「氷に乗るシーズン中はまだいいのですが、むしろ、肺の機能が落ちるオフが本当につらいのです。自分の場合、安静にする、つまり肺の機能が落ちた時に、発作が出るものですから」
 長野五輪での興奮や感動はだれもが覚えていても、彼の本当の苦悩は、ほとんど表に出ることはなかった。発作が起きた時の苦しみを、清水は「これでこの世も終わりか、というほどです」と、表現していた。
 普通の肺から、無酸素状態で短距離を走り抜くための、戦う肺に切り替えるオフ、夏から初秋が一番苦しい時期だ、とも話している。
 まさに、今ごろなのである。自転車会場での会見をテレビで見ながら、彼は、肺を弱らせず徹底的に鍛えるために、新たな試練を自らの肉体に課しているのだろうか、と思った。
 弱点は、特にスポーツにおいては表裏一体、最大の強みにさえ転じてしまうこともある。弱点を見つめ克服することでゆるぎない強さを得ることもあるのだと、清水というスポーツ選手に教えられた。
 学園祭を終え、制服姿のティーンエージャーたちが見送ってくれた。
 病弱だった彼女は今、どうしているだろう。
 ふと、校門を振り返った。

(東京新聞・'99.9.28朝刊より再録)

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