「強かった自分に近づきたい」

    12年ぶり五輪復帰


射撃の長谷川選手、苦節経て再び頂点へ

 11日早朝、羽田空港に向かった。モノレールで浜松町を出ると、左手に時刻を示す電光掲示が見える。
 寝ぼけ眼を半分だけ開けて眺めると、時間の下には文字が流れていた。
「シドニーオリンピックまで……」
 文字が、パッと数字に切り替わって目も覚めた。
「あと370日」
 来年だと分かっていても、実際に数字で示されると、妙に緊張感がわくものだが、ある意味で、「オリンピック」はとっくに始まっているとも言える。
 出場のためには、大陸間の選抜を勝ち抜く、定められた記録を突破する、あるいは世界ランキング上位に食い込むなど多くの条件をクリアしなければならない。その結果、すでに五輪出場権を逃した者もいれば、つかんだ者もいる。出場をかけた熾烈(しれつ)な戦いもまた、「予選という名のオリンピック」なのだ。
 出揚権を獲得した中に、射撃の長谷川智子(ミズノ)がいる。1988年のソウル五輪(スポーツピストル)では、日本女子五輪史に輝く銀メダルを獲得した選手である。
 あまり例がないと思う。あれ以来、じつに12年ぶりに五輪に復帰するというのだから。
「お互いに、歳(とし)を取ったということですね」
 出場権獲得をかけた大会に出発する前、取材のために射場を訪れ、そして2人で笑い合った。
 彼女は、私が初めて五輪の現場で取材したメダリストである。
 当時は、大阪府警に勤務する婦人警官だった。天才と呼ばれた射撃センスと警察勤務という恵まれた環境をバックに、期待通りの銀メダルを手にし、そして翌年、結婚を理由にあっと言う間に引退してしまった。
 念願のメダルを取ったものの、周囲からは過度にもてはやされるか、逆に、家族まで嫌がらせに巻き込まれたこともあった。
「夢をかなえたはずが、現実は決していいことだけではなかった。ですから引退は、そういう状況から単に逃げ出したかっただけなのかもしれませんね」
 その後離婚し、同時に射撃への思いが熱くこみ上げる。
 主婦から什事を始め、引退と同時に返還した銃を再び所持するため、複雑な事務手続きを1人でこなして、一昨年、8年ぶりに復帰を果たした。
 12年もの歳月が教えてくれたものは?
「競技への思い入れです。あのころはすべて人任せで、技術探究も十分ではなかったと思う。今は射撃を愛する気持ちがはるかに強い」
 引退を、逃げた、と表現し、技術探究を怠った、と言う。私が初めて現場で取材をしたメダリストの素晴らしさは、メダル自体にあるのではなく、競技者、女性としての潔さと絶えることのない向上心にあるのだ、と今になってあらためて教えられた気がする。
 強かった自分に近づきたいから、と最近、メダルを「初めて」飾ったと笑う。
 12年の歳月をかけた、真の「リターンマッチ」が今、静かに始まる。
 あす15日、シドニー五輪開幕まであと1年となる。

(東京新聞・'99.9.14朝刊より再録)

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