『若手の成長 何よりの喜び』

    堂々として里帰り『圧倒的に面食らった……』


J監督 給料二の次?

 プロ野球の監督は、日本に12人しかいない。
 サッカーJリーグの監督は、J1(1部リーグ)に限って、現在16人である。
 日本の2大プロスポーツを支える監督28人中、もっとも安い年俸で働いているのは、ベルマーレ平塚の古前田充監督(49歳)ではないだろうか。同監督の場合、「年俸」というより、「給料」といったほうが適切かもしれないのだが。
「辛(つら)い仕事なのに割が合わないかって? いやいや、ある意味、規則的ですからね生活は。辛くはないんですよ、心臓以外は」
 監督は苦笑する。
 4日の対ヴェルディ川崎戦で、第2ステージ3度目の延長負けを喫し現在14位。来季2部落ちのピンチである。
 平塚は、1994年にJリーグ入りを果たし、優勝争いをした年もある。昨年、オーナー会社だったフジタ工業の経営悪化がクラブを直撃。人件費9億円を、じつに半分以下の約4億円まで減らすことを手始めに、リストラ、運営費の大幅削減、ついにフジタ撤退と、厳しい状況に置かれている。
 第1ステージの指揮を執った上田栄治監督に代わり、'95年に一度は退任し、強化を担当していた古前田氏に、再び出番が回ってきた。経営状態から、年俸ではなくサラリーマンと同じ給与体系のまま、で。
 しかし、心臓が辛い以外、監督に不満は、ない。
 岩手県遠野出身。どこか朴訥(ぼくとつ)で、ひょうひょうとした口調は、いつも温かい。「現場で指導にかかわれる喜びが根本にありますね。若い選手の成長ぶりを見るのは、何よりうれしいものですから、ありがたいです」
 先週、その喜びを形にしてくれた1人の選手が、監督の元を訪れた。
 7日の五輪代表壮行試合に出場するためペルージャから帰団した中田英寿は、時差と調整に、古巣での練習参加を監督に依頼。久々に相模川の河川敷にある大神グラウンドにやって来た。
 四年前の高校3年時、争奪戦が展開されていた中田を、好条件でもない平塚が獲得できたのは、彼の希望と、当時の古前田監督とスタッフの力が理由である。
 後ろ盾も確約もない中、中田は自らの力で海外移籍のチャンスをものにした。
「私がヒデを育てたなんてまったく思っていません。あの堂々たる成長ぶりは、うれしいというレベルを超え、圧倒的に面食らいましたね。私まで緊張しましてね」。監督はうれしそうに言う。
 指導する喜びもあれば、されたことへの感謝もある。つかの間の「里帰り」には、両方が存在したはずだ。中田が大神に行った理由は、調整のためだけではなかったと思う。
 苦境に立つクラブ、後輩、監督、そして、8月の豪雨で河川がはんらんしたため水没し、大打撃を受けたホームグラウンドを、心から案じていたのだろう。
 言葉はなかったが、監督も強くそう感じたという。
「プロならどんな困難も、強い意志を持ち、自分で乗り越えるしかない」
 これを言葉ではなく、自分が行くことで、平均年齢21歳と、リーグ中、最も若い後輩たちへの置き土産にしたのではないか。
 彼はそういう選手だから。

(東京新聞・'99.9.7朝刊より再録)

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