貧しくとも彼らには歌があった
バラグアイの首都・アスンシオンにある、「ディフェンソーレ・チャコ」という名のスタジアムに足を踏み入れると、最初に歌が聞こえた。
コンクリートはすでに朽ち、鉄筋がのぞく。しかし、満員のスタンドは大人も子供も、女性も混じって肩を組み、ジャンプしながら合唱している。
笑顔で歌うのが似合う、明るいメロディーである。
「歌詞は、まあ大体こんなとこです。もちろん作詞曲不明。寝てもさめてもサッカーなんで、みんないつの間にか学えてます」
サッカー日本代表の取材に、パラグアイに来ている。
大合唱されていた歌について聞くと、日系人の通訳氏がそう教えてくれた。
頭の上に平らな籠を置き、その上にさらに山積みの、チーパというパンを乗せ、売り子が通路を歩き回る。チーズ風味のパンの香りと、明るい歌声が、スタジアムを包み込んでいる。
さまざまな国で、さまざまなスタジアムで取材をしてき来たが、足を踏み入れる瞬間は、いつも胸が躍る。どこの競技場にも、歌声や匂いといった、独特な空気が漂っているからである。
スタジアムには、良いことも悪いこともすべてまとめて、その土地に生きる人々の生活や魂が、交じり合っているのだと思う。私にとっては、観光名所よりもスタジアムこそが、もっとも雄弁にその土地を語る。
もちろん国だけでなく、それぞれの思い出も、詰まっているはずだ。
ブラジルから帰化した日本代表・呂比須ワグナー(名古屋)も、同じように感じていたようだ。
「南米にサッカーのため戻って来たのは、初めてです。日本の競技場とは全然違うんですね、声援も、野次も、雰囲気も、匂いとかもね。ピッチに立って胸が一杯になった」
予選ラウンド初戦のペルー戦で、日本の初ゴール、しかも今大会の初ゴールを決めたのは、南米で生まれ育った呂比須だった。
8歳の頃から、南米選手権を戦うブラジル代表に熱狂した。家計に無理をして、初めてスパイクを買ってくれた母に、里帰りのゴールを見せることはできなかったが、子供の頃、スタジアムで刻んだ記憶は、今も生き続けていた。
「野次は、お前のカアちゃんデベソ、とかね、まあこれは、一番上品な部類の野次ですけどね」
呂比須は苦笑する。
深い芝や激しいチャージ、サッカーでは最古の大陸選手権代表の誇りも、彼はすべてを大切に、スタジアムにしまっておいたのだろう。
今大会、パラグアイには4対0とたたきのめされた。
しかし、悔しかったのはスコアだけではなかった。
ここは、日本のように物資が豊かな国ではない。しかし少なくとも、彼らには「自分たちの歌」がある。
何十年も歌い続けてきた歌と、歌が響くにふさわしいスタジアムがある。
それが、羨(うらや)ましい。
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