『飛型点ゼロ』乗り越えた日本Vジャンプ

    スポーツの『リベンジ』


 出張に向かう飛行機の中ではいつも妙にうれしい。
 電話も、通信も、呼び出しもない。最近は、カードで電話もかけられるし、「ビジネスラウンジ」などという恐ろしい部屋を作った航空会社もあるようだ。
 さて、南米パラグアイともなれば三十時間はかかる。原稿を打ち、映画もたっぶり見ることができる。
 ギャングのボス役、ロバート・デニーロに子分たちが迫る。
「父親も、親友も目の前で殺された。親分、リベンジを!」
 今年は、復しゅうの意味を持つ「リベンジ」がスポーツ界で大流行している。
 英語でも、スポーツで使用されることはある。しかし、どんな時に使うかと言えば、映画のこの場面がもっとも適切な例文である。
 西武の松板大輔が勝っても、初対決では無安打のイチローがヒットを返しても、あるいは水泳の千葉すずが日本新記録で復活しても、すべて「リベンジ」。いつでも彼らが口にしているわけではないし、スポーツに言葉の遊びは付き物だ。しかし、私たちは何をそんなに、彼らに「復しゅう」させたいのか。
 先週、そんな単語がなかったころから、それに値するかもしれない戦いを挑み続けてきた人が、新たな挑戦を宣言した。
 ジャンプの長野五輪金メダリスト・船木和喜(24歳)が、所属していたデサントを退社し、フリーの立場になってまたタイトルを狙っていくのだという。
 日本のノルディックのジャンプ、複合陣ほど、国際的に、さまざまな外圧と戦ってきた団体はない。
 今では日本のお家芸と称される「V字ジャンプ」も、もとは、スウェーデンの病弱な選手のミスから偶然生まれた技術だった。しかし、斬新(ざんしん)な発想と、実際のデータから、オーストリア、日本が本格的に開発、実践に取り組むことになった。
 関係者に聞いた話だ。
「彼らがそのジャンプを初披露したころ、飛型点がゼロだった。美しい飛型で名を馳(は)せてきた日の丸飛行隊がゼロ点。衝撃だった。そして各国に冷笑された」
 しかし、この屈辱からが本物のリベンジ魂の見せどころである。飛型点ゼロの批判や冷笑などものともせず、「これだけが日本の生き残る技術」と研究と練習を重ねた。そして、強く、美しい新時代のジャンプを、世界に定著させてしまった。
 本家欧州が面白いわけはない。露骨な「日本叩(たた)き」が行われ、毎年、日本に不利となるルール変更が繰り返される。
 それでも、船木は「まだまだ高いところを目指して飛んでいきたい」と毅然(きぜん)と言う。
 スポーツにおける、「リベンジ」は極めて難しい。
 なぜなら、状況や相手に一度くらいやり返したところで、自らの兢技力向上とは無関係だからだ。
 動機にはなるが、目標にはなり得ない。船木たちはスポーツでの「リベンジ」の真の意味と厳しさを身をもって表現してきた。
 さて、デニーロは子分に向かって言う。
「オレはもうリベンジなんてやめる。足を洗う」
 リベンジの安売りはスポーツをつまらなくする。

(東京新聞・'99.6.29朝刊より再録)

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