アウエーにどう臨む日本サッカー

    南米選手権勝ち点1


 南米選手権を終えたサッカー日本代表をアスンシオン(パラグアイ)の空港で見送っていると、「ハポン、ハポン(日本)」という声だけが聞こえた。
 振り返ると、国籍不明のおじさん3人が笑顔で、スペイン語をまくし立てている。通訳氏は「訳すほどのことでは」と口ごもる。
 どうせ勝ち点1だ、とか、弱っちいとかでしょう。慣れてますよ、大丈夫。
 通訳氏は小声で言った。
「赤ちゃんは、おウチに帰ってネンネしな……僕じゃないですよ、言ったのは」
 われらが日本代表は、初出場をした、大陸別最古の選手権、コパ・アメリカで勝ち点1を手に帰国した。
 赤ちゃんだって? おウチに帰れだって? 悔しいが、反論できないではないか。
 パラグアイでサッカーとともに過ごした「アウエー」(away=遠征に出かけて行く意味)での2週間で私自身も学んだテーマは、まさに彼らの言った「おウチ」、つまり「ホーム」からの脱却であったと思う。
「ホームを守る」ことをテーマとする野球については以前書いた。このホームという言葉には、家、家庭、安定といった思想が秘められていると思う。
 サッカーはこれとは正反対の「アウエーの精神」に成り立っている競技である。ホーム&アウエーで戦うこのスポーツのテーマは「アウエーをいかに克服するか」という、不確定要素にある。安定を捨て、混乱や不安の中に何かを見いだそうとするスポーツだ。
 日本代表と国際レベルの違いはこのアウエーで力を出せるかどうかにあり、「アウエー」の思想はサッカーの奥行きをあらためて教えてくれるものだった。
 パラグアイでこんなことを強く感じたのは、日本で解雇された選手の活躍を目の当たりにしたからである。
 ブラジル代表のFW、アモローゾ・ドス・サントスは7月5日に24歳になったばかりである。
 世界的ストライカーは6年前、日本では「将来性なし」とらく印を押され、当時のヴェルディ川崎を解雇された。Jリーグが始まるころ、まだ16か17歳、サテライト(二軍)にいた少年を一度だけ取材した。
 パスをしないでゴールに突進する選手だった。
「日本は僕のサッカー人生のスタート地点。つらいことはいっぱいあるけど、これもまた楽しい、日本で頑張れれば、世界中どこでもやれるって思ってる」
 夢は、ブラジル代表の黄色のユニホーム「カナリア」を巻ること。あの時、彼の将来性を想像もしなかった私は、「ま、夢を思うくらいは勝手か」と、適当にした。
 スタート地点の日本を解雇された彼は帰国し史上最高額での契約を果たし、イタリアに渡り得点王をものにした。世界中どこでもやれる、と言っていた彼を支えたのは、アウエーの思想ではなかったか。守るより攻める、安定より挑戦を選び続けた結果である。
 アモローゾはあのころ、生田の小さなアパートから、市バスで稲城のグラウンドに通っていた。
 日本の小銭の種類と、使い方を教えたことも、今でははるか遠い昔に思える。

(東京新聞・'99.7.13朝刊より再録)

BEFORE
HOME
NEXT