「孤独だが価値ある世界の舞台」

    名波選手への伝言


 ジュピロ磐田のMF名波浩(26歳〕が、セリエA・ベネチアとの契約を結び、会見で晴れやかな表情を見せたとき、なぜか忘れ物に気が付いた。
「名波への伝言」を頼まれていたことを、うっかり忘れていたのである。
 取材をしていると、選手同士の伝言を頼まれることがよくある。
 競技種目が違い、携帯電話をかけ合うような仲というわけではない。しかし、わずかな接点はある。そんな選手同士には、いろいろな選手の間を取材で往復しているライターの存在は、メッセンジャーとしても絶好だというわけだ。
「がんばってほしいんですよ、名波には。彼なら世界でもやれますよね? 移籍はできそうなんですか」
 陸上400メートル障害の日本記録保持者・山崎一彦(28歳、デサント)は、言った。
 5月8日、大阪での国際GP大会で、予選落ちに終わったアトランタ五輪から実に3年ぶりの復活を遂げる日本新記録(48秒26)を樹立。
 通路で話を聞いていると、そのころ、新聞にチラホラと出始めた、名波の移籍話になった。山崎は、順大で名波の1年先輩にあたる。
 認知度は低いが、400メートル障害は、常に世界トップ10にだれかが名を連ね、名誉あるファイナリスト(決勝進出)を目指す、レベルの高い種目である。
 身長174メートルの山崎ならば、当然、一般的日本人と同様、股(また)下の長さだって知れたものだ。腰高の、足の長い、外国選手と渡り合い、高さ90センチの障害を技で越える。ハンディをもらってもいいような種目ではないか。
 そんな中、1995年の世界選手権決勝では7位に食い込んだ。
「向こうへ出ていったころはコンプレックスの塊でしたよ。外国人には話しかけてほしくないから、目線をそらしたり。とにかく自分自身との戦いです」
 そんな話を聞いた。
 力はあるはずだが、国内でもNo.1になれない。そこで数年前、あえて単身で、わずかな金を握りしめ欧米転戦を決意する。
 本来なら参加資格のないGP大会の主催者に片言の英語で交渉し、門前払いに遭い、道具一式を抱えたまま観客になったこともある。
 前座で走り、少しずつ認めてもらう、そうやって記録を伸ばしてきた選手だ。
 言葉の壁、コミュニケーションの壁。名波が今、抱えているかもしれない数々の不安を、山崎はほんの少し前、自分の技術と、強い精神力で、本物のハードルのように飛び越えてきた。
 サッカーとはメディアの圧力において違いはある。それでも同じように世界を舞台に戦う競技者として、その道のプロとして、後輩を見つめている。
「言葉の壁、だれも助けてはくれない、何より孤独です。それでもやる価値がある。あきらめずにがんばれって伝えてもらえますか?」
 山崎は今、欧州でレースを転戦し、伝言は遅れたが、名波もあきらめはしなかった。「自分に足りないものを見つけに行く」と、名波は会見で言った。
 捜し物は、何だろう。

(東京新聞・'99.6.15朝刊より再録)

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