「女房」は五輪を目指す

    既婚選手たちの奮闘


 よくよく考えてみると、スポーツ記者として日ごろ使っている「言葉」には、不思議な表現が多い。
「しかし、野球で使う“違和感”とは何ぞや。野球には妙な表現が多いぞ」
 大先輩は、ナイター中継を見ながら苦笑する。
 テレビでは、ある選手が、足に“違和感”を感じて途中で交代したと説明している。要するに、明確な病名は不明だが、どこかおかしい、という意味なのだが、確かに、分かったような分からないような。
 会社員が「腹に違和感があるので休む」などと言えば、怒鳴られるだろう。
 プロ野球には、その歴史と浸透度から、ユニークな表現が定著している。
 女だからか、かつて巨人担当をした時、つくづく面白いと感じていたのは、「女房」の存在であった。
 捕手を指すこの言葉は、一家の大黒柱(投手)を支える一糸乱れぬパートナーシップを示しており、大黒柱を生かすも殺すもまさに「女房次第」となる。
 野球において、この「女房」が、「ホーム(ベース)」に常にどっかりと座っているという構図が、まるで家庭(ホーム)の縮図のようで、面白くて仕方なかった。
 プロ野球という男性社会で、強力な存在感を放つ「女房」には、もしかすると「投手(夫)を生かして」との願望と、女房はホームで帰り(バックホーム)を待つ、との前提が秘められていたのかもしれない。
 しかし、同じスポーツでも、シドニー五輪に向けて、女子スポーツ界が抱える大きなテーマは、この構
図の逆転にある。
 つまり女房たちがいかに「ホームから飛び出すか」である。
 スポーツでも女性の進出が言われて久しいが、それでも五輪名簿に既婚者や母親が名を連ねることは極めてまれである。何年か前の調査でも、日本の五輪選手団における女性既婚者の占有率がスポーツ先進国の中では群を抜いて低かった。
「最初はとても悩みました。自分の心の中にも、結婚してまで柔道で世界を狙うなんて……そんな気持ち
もありました」
 女子柔道52キロ級「戦う女房」楢崎敦子(ダイコロ)は、アトランタ五輪で銅メダルを獲得。その後結婚し、昨年一線級へ復帰した。既婚の女性柔道家が世界で戦う前例は国内になかったが、周囲やご主人の励ましで挑戦中である。
 世界選手権選考会で敗れた時には、「しばらくは柔道と同時に、料理道にも励みます」と笑って話していたが、その後代表に選ばれ、今はシドニー前哨戦となる世界選手権を目指し、厳しい稽古を積む。
 陸上長距離にも、夫がコーチの「走る女房」弘山晴美(資生堂)がいる。30歳でも日本記録を保持し、若年層の追随を許さない。
 競技者として闘争心を維持し、主婦として時間をやり繰りするのは容易ではない。しかし彼女たち女子選手の活躍は、社会を映し出す鏡にもなる。記念すべき2000年の五輪は、日本の女房軍団が、かつてない勢いで活躍する場になりそうである。
 目指すはバックホームと表彰台、その両方か。

(東京新聞・'99.6.8朝刊より再録)

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