有森復活の陰に勝者がいた

    無理しない勇気


「あの日本人には、とても感動をした。すごいね」
 隣のアメリカ人は、こちらが日本人と分かると握手を求めてきた。彼の上着はレモン色のTシャツ。国内線の機内は見渡す限り、派手なTシャツを着た人々ばかりだが、これが、今年のボストンマラソン完走者全員に贈られる完走のあかしである。みな晴れやかな表情で故郷に戻るところだ。
「ええ、彼女、有森は約3年ぶりのマラソンで自己新。しかも32歳なんです」
 男性は首をかしげた。
「アリモリ、32歳? いや、あれは74歳の男性だったよ……」
 1ページほどの大きな写真とともに、「最終走者は勝者」と書かれた新聞記事を見せてもらう。103回を迎えた今年のボストンマラソンで、日本人で一番大きく扱われていたのは、有森ではなかった。
 自らの取材不足を恥じるしかない。今年、公式記録の6時間以内でゴールした最終ランナーは、日本人だった。こちらが有森の復活を追っている間に、素晴らしいシーンのひとつを見逃したというわけだ。
 74歳の大西さんは、65歳から走り始めたのだという。
「走ることが大好きです。少しでも長く、ペースを考えながら、時には無理をしない勇気も必要ですね」
 無理をしない勇気……。
 英語で読んだ大西さんのコメントが胸に染みたのは、帰国してから、真夜中にサッカーの世界ユース選手権を見た時だった。
 気候、環境、体力、さまざまな悪条件に立ち向かっていく20歳以下の選手たちの姿は、けなげだった。しかし、そこにいるべきはずの一人がどうしているのか、そちらが気になった。

“名誉ある”代表辞退

 昨年の今頃、同年代のサッカー選手で最も大きなプレッシャーと戦っていたのは、市川大祐(18歳・清水エスパルス)だった。彼は、フル代表にも17歳の最年少デビューを果たし、その勢いでフランスW杯の候補としてスイス遠征に参加。22人の代表からはもれたが、W杯に残った。
 そして自分の年代の出番が回ってきた今年3月、名誉あるユース代表に選ばれながら、それを辞退した。
 過労とストレスから「オーバートレーニング症候群」と診断されたからだ。
「今思えば無理をしていたんですね。代表では邪魔にならないよう、クラブでもしっかりやろうと、いつも懸命でした。ユースの準優勝? うれしいです」
 24日、清水で行われた磐田戦で会った市川は、そう言って笑った。昨年は高校生でただ一人W杯に行き、今年は一人留守番。不思議な巡り合わせである。
 真面目な青年は昨年「代表」と等身大の高校生との間を激しく往復し、ついに過労に襲われた。彼のせいではない。肉体と精神の均衡をわずかな一線で保つという、スポーツの奥深さと恐ろしさゆえである。
 活躍するはずの大舞台は踏めなかったが、留守番のご褒美は必ずあるはずだ。
「無理をしない勇気」
 この言葉を市川に伝え、そして、ボストンを6時間で完走された東京在住の大西さんに、ここで改めて敬意を表したい。

(東京新聞・'99.4.27朝刊より再録)

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